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〔2月26日|今日は何の日)


 人間誰でも、今日がどんな日か考えるとき「2月26日 何の日」とか「2/26 なんの日」とか気になるものです。ここでは、次のようなことを紹介しています。きっとお役に立ちますのでお楽しみくささい。

 ・今日の「誕生石・誕生花」
 ・今日が誕生日の人の「星座」
 ・日本や世界の「記念日・出来事」
 ・偉人や有名人の「誕生日」
 ・この日に因んだ「今日の面白雑学」

 1月26日は、グレゴリオ暦で年始から57日目で、平年なら年末まであと308日あります。閏年では残り309日となります。


今日の誕生花・花言葉
アドニス ・幸せを招く・永久の幸福・悲しき思い出
レプトスペルマム ・蜜月・華やいだ生活・勇ましさ・質朴な強さ・濃厚な愛・繊細な美しさ
スノードロップ ・希望・慰め
ローダンセ
フクジュソウ(福寿草) ・幸せを招く・永久の幸福・悲しき思い出

急ぎ見記念日・年中行事出来事誕生日面白雑学
 
★ 2月26日 何の日 ★
年始からの
日数
・57日目
年末までの
日数
・308日残
(閏年は309日残)
誕生石 ・アメジスト(紫水晶)
誕生花 ・レプトスペルマム
・アドニス
・スノードロップ
・ローダンセ
・福寿草
星座 ・魚座(うお座)
 
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記念日日本

(2月26日)

日にち固定の記念日

〔咸臨丸の日〕

 1860(万延元)年、幕府が派遣した使節団が、咸臨丸による37日間の太平洋横断航海を終えてサンフランシスコに到着した。

〔プルーンの日〕

 サンスウィート・インターナショナル日本支社は、世界ナンバーワンの生産・販売量を誇るプルーンメーカーで、プルーンの魅力を伝えて販売促進につなげるのが目的で、1年中美味しいプルーンを食べてもらいたいとの願いを込め、毎月26日を記念日とした。

 日付は「2(プ)6(ルーン)と読む語呂合わせから。


毎月同じ日の記念日

〔プルーンの日〕

 サンスウィート・インターナショナル日本支社は、世界ナンバーワンの生産・販売量を誇るプルーンメーカーで、プルーンの魅力を伝えて販売促進につなげるのが目的で、1年中美味しいプルーンを食べてもらいたいとの願いを込め、毎月26日を記念日とした。

 日付は「2(プ)6(ルーン)と読む語呂合わせから。


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今日の出来事
〔0744年〕

 聖武天皇が難波に遷都。翌年に平城京へ戻す。

〔0823年〕

 天台宗の総本山「延暦寺」建立

〔1609年〕

 薩摩藩主・島津家久が琉球に出兵し首里城を攻略。琉球が島津に従属

〔1649年〕

 農民支配を強化する「慶安御触書」を公布

〔1802年〕

 江戸幕府の医官・桂川甫周が徳川家斉に日本で初めて顕微鏡の使用法を講じる。

〔1869年〕

 米憲法画改正、黒人にも投票権が与えられる。

〔1936年〕

 2.26事件、皇道派将校によるクーデター発生。

〔1951年〕

 日本初の血液銀行が大阪に開業

〔1968年〕

 成田空港反対同盟と機動隊衝突。400名負傷

〔1973年〕

 ベトナム和平保障国際会議開催


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偉人・有名人の誕生日
1802年 ユーゴー 作家  ヴィクトル・ユーゴーは、19世紀のフランス・ロマン主義の詩人であり小説家、政治家です。

 軍人である父親と資産家の娘である母親から生まれましたが、彼は波乱に富んだ人生を送ったことで知られていています。

 政治家としてはさしたる業績はなかったものの作家としては無数の作品を残して大成功をおさめました。代表作に『レ・ミゼラブル』があります。

1808年 ドーミエ 画家 ドイツ
1873年 与謝野鉄幹 歌人・詩人
1911年 岡本太郎 芸術家  岡本太郎は、日本の芸術家であり、絵画、彫刻、陶芸、書道、写真、著述業に業績がある。

 昭和5~15年にフランスで学び、抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流がある。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作した。

 岡本太郎の代表作には、『傷ましき腕』『重工業』『明日の神話』などのほか、大阪万博で作成された巨大な『太陽の塔』などがある。

1924年 竹下登 政治家 首相
1949年 海江田万里 政治家・評論家
1956年 南美希子 タレント
1956年 桑田佳祐 歌手
1967年 三浦知良 サッカー選手
1974年 ハウス加賀谷 タレント


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面白雑学

(2月26日)

今日の面白雑学(2月26日)

〔女性化したナポレオン〕

 ヨーロッパ同盟軍に敗れ、エルバ島に流されていたナポレオン・ボナパルトは、1815年2月26日の夜、7隻の船に大砲を積み、脱出に成功した。

 再び帝位についたが、結局は「百日天下」といわれるように、すぐにヨーロッパ同盟軍に敗れて南海の孤島セント・ヘレナに流され、1821年5月5日に52歳で病没する。

 さて、彼の肖像画は威風堂々としているが、実際の身長は160cm足らずで、お腹が出て、ハゲだったことはつとに有名である。

 彼は正式な妻二人のほかに数十人の愛人がいたといわれ、まさに「英雄色を好む」というパワフルな男だったようだが、49歳ころからホルモンの分泌異常か、身体全体が女性化していったという。

 晩年の彼は、次第に胸が女性のように膨らんで体毛も消え、肌までスベスベしていたというから驚きである。


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