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〔今日は何の日〕

4月26日

1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
 


 人間誰でも、今日がどんな日か考えるとき「4月26日 何の日」とか「4/26 なんの日」とか気になるものです。ここでは、次のようなことを紹介しています。きっとお役に立ちますのでお楽しみくささい。

 ・今日の「誕生石・誕生花」
 ・今日が誕生日の人の「星座」
 ・日本や世界の「記念日・出来事」
 ・偉人や有名人の「誕生日」
 ・この日に因んだ「今日の面白雑学」

 1月26日は、グレゴリオ暦で年始から116日目、うるう年では117日目で、年末まであと249日あります。



今日の誕生花・花言葉
ヤグルマソウ ・繊細・優美・教育・信頼
ヤグルマギク(矢車菊) ・繊細・優美・教育・信頼
タネツケバナ ・勝利・不屈の心・情熱・熱意・燃える思い

急ぎ見記念日・年中行事出来事誕生日面白雑学
 
★ 4月26日 何の日 ★
年始からの
日数
・116日目
(閏年は117日目)
年末までの
日数
・249日残
誕生石 ・ダイヤモンド(金剛石)
・クォーツ(水晶)
誕生花 ・ヤグルマギク(矢車菊)
・ヤグルマソウ
・タネツケバナ
星座 ・牡牛座(おうし座)
 
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記念日日本

(4月26日)

日にち固定の記念日

〔プルーンの日〕

 サンスウィート・インターナショナル日本支社は、世界ナンバーワンの生産・販売量を誇るプルーンメーカーで、プルーンの魅力を伝えて販売促進につなげるのが目的で、1年中美味しいプルーンを食べてもらいたいとの願いを込め、毎月26日を記念日とした。

 日付は「2(プ)6(ルーン)と読む語呂合わせから。

〔こきりこ〕

 合掌集落で有名な富山県平村の白山宮で行われる祭り。こきりこと呼ばれる煤竹を鳴らして踊る。


毎月同じ日の記念日

〔プルーンの日〕

 サンスウィート・インターナショナル日本支社は、世界ナンバーワンの生産・販売量を誇るプルーンメーカーで、プルーンの魅力を伝えて販売促進につなげるのが目的で、1年中美味しいプルーンを食べてもらいたいとの願いを込め、毎月26日を記念日とした。

 日付は「2(プ)6(ルーン)と読む語呂合わせから。


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今日の出来事
〔0736年〕

 遣唐使の吉備真備らが帰国

〔1792年〕

 フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」が作られる。

〔1924年〕

 日比谷公園で日本初のボクシング試合が行われる。

〔1932年〕

 瑞金の中華ソビエト政府が対日本宣戦を布告

〔1937年〕

 スペインのゲルニカが独空軍により爆撃

〔1939年〕

 関門国道海底トンネルが開通

〔1954年〕

 永井荷風が預金通帳入り手提げバッグを電車内に忘れる。

〔1954年〕

 ジュネーブで極東平和会議が開催

〔1970年〕

 関東地区で初めての民法FM局「エフエム東京」が開局

〔1994年〕

 名古屋空港で中華航空機が着陸に失敗し炎上、263人が死亡


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偉人・有名人の誕生日
1564年 シェイクスピア 劇作家
1711年 ヒューム 哲学者 イギリス
1798年 ドラクロア 画家 フランス
1884年 田村俊子 作家
1925年 胡桃沢耕史 作家
1949年 風間杜夫 俳優
1952年 大橋純子 歌手  大橋純子は歌手である。北海道大学時代には軽音楽クラブバンドで活躍しソウルフルな歌唱で頭角を現した。北海道放送の深夜放送でディスクジョッキーも行った経験もある。

 上京してアルバイト生活をしながらバンド活動をしていたとき、日本人離れした独特な歌唱力が注目を集め、レコード会社のオーディションに合格、1974年に「フィーリングナウ」でソロデビューを果たした。2作目の「ペイパームーン」がヒット、続いて「シンプル・ラブ」「たそがれマイ・ラブ」「サファリナイト」「シルエット・ロマンス」および「愛は時を越えて」などが大ヒットした。

1961年 栗山英樹 キャスター
1971年 田中直樹 タレント ココリコ


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面白雑学

(4月26日)

今日の面白雑学(4月26日)

〔フランス国歌の誕生〕

 1792年4月26日、のちにフランス国歌となる「ラ・マルセイエーズ」が、工兵大尉ロジェ・ド・リールによってほんの数時間で作詞・作曲された。

 フランスでブルジョア革命が起こっていたさなかの同年4月20日、フランスはオーストリアに宣戦布告する。

 その報は25日にストラスブール市に伝えられ、市長は軍人たちを自宅に招いて送別の宴を開いていた。

 同席していたロジェ大尉に音楽の才能があることを知っていた市長は、兵士たちを激励するための歌を作ってくれるよう依頼したのである。

 ロジェはその夜のうちに仕上げ、翌朝には市長の家で発表した。

 最初は「ライン軍軍歌」と呼ばれていたとおり、人殺しをあおる軍歌だったが、やがてマルセイユにも広まって、兵士たちがパリに上京する際、この歌をうたって行進したことから「ラ・マルセイエーズ」と名づけられたという。


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