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〔11月17日|今日は何の日)


 人間誰でも、今日がどんな日か考えるとき「11月17日 何の日」とか「11/17 なんの日」とか気になるものです。ここでは、次のようなことを紹介しています。きっとお役に立ちますのでお楽しみくささい。

 ・今日の「誕生石・誕生花」
 ・今日が誕生日の人の「星座」
 ・日本や世界の「記念日・出来事」
 ・偉人や有名人の「誕生日」
 ・この日に因んだ「今日の面白雑学」

 1月17日は、グレゴリオ暦で年始から321日目、うるう年では322日目で、年末まであと44日あります。



今日の誕生花・花言葉
スターチス ・変わらぬ心・途絶えぬ記憶
ノコギリソウ
(アキレア)
ツタ

急ぎ見記念日・年中行事出来事誕生日面白雑学
 
★ 11月17日 何の日 ★
年始からの
日数
・321日目
(閏年は322日目)
年末までの
日数
・44日残
誕生石 ・トパーズ(黄玉)
・シトリン(黄水晶)
誕生花 ・ノコギリソウ(アキレア)
・スターチス
・ツタ
星座 ・蠍座(さそり座)
 
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記念日日本

(11月17日)

日にち固定の記念日

〔将棋の日〕

 無類の将棋好きであった八代将軍吉宗が、毎年11月17日を「御城将棋の日」と定め、御前対局をさせた。

 この日は、大橋本家、大橋分家、伊藤家の三家元の棋士たちが、総漆塗りの盤で一日中、対局したといわれている。

 これにちなんで日本将棋連盟が1975年に制定


毎月同じ日の記念日

〔国産なす消費拡大の日〕

 冬春なすの主産6県(高知園芸連・全農ふくれん・熊本経済連・全農岡山・佐賀経済連・全農徳島)で構成する「冬春なす主産県協議会」は、なすの消費を増やしたいとして、この記念日を制定した。

 4月17日の「なすび記念日」にちなむ。

〔減塩の日〕

 特定非営利活動法人 日本高血圧学会は、高血圧の予防や治療において大切な減塩をより多くの人々に実践してもらう目的で、この記念日を制定した。

 日付は、日本高血圧学会制定の「高血圧の日」の5月17日にちなんで、毎月17日としたもの。

〔いなりの日〕

 いなり寿司は、日本の食文化の中に定着し多くの人々に親しまれています。長野県長野市などで、いなり寿司の材料を製造・販売する、みすずコーポレーション社は、いなり寿司を食べる機会を増やすきっかけを作りたいと願って、この記念日を制定した。

 日付は、「17」をいなりの「い~な」と読む語呂合わせから毎月17日にしたもの。


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今日の出来事
〔1933年〕

 米がソ連邦を承認

〔1934年〕

 湯川秀樹教授が中間子仮説を発表

〔1954年〕

 東京都公安委員会が、連発式パチンコの禁止を決定(施行は翌年4月)

〔1964年〕

 公明党の結成大会。委員長は原島宏治

〔1965年〕

 プロ野球第1回新人選手採用選択会議(ドラフト会議)が開催

〔1976年〕

 電話料金の1度数が7円→10円に値上げ


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偉人・有名人の誕生日
1904年 イサムノグチ 彫刻家
1906年 本田宗一郎 実業家・技術者・経営者  本田 宗一郎は、本田技研工業の創業者である。ソニーの井深大などと並んで、戦後日本の復興に寄与した技術者・起業家として世界的に知られている。
1933年 内田裕也 ロックンロール歌手・俳優  内田裕也は、ロックンロールミュージシャン俳優でもある。1959年に日劇のウエスタンカーニバルで本格的デビューを果たした。連れ合いは女優の樹木希林さんである。

 少年時代、エルヴィス・プレスリーに憧れ、高校卒業後の1957年にバンドボーイとして音楽活動を開始した。まもなく、佐川ミツオと共にロカビリーバンド「ブルー・キャプス」に入る。その後もグループサウンズ「内田裕也とフラワーズ」のヴォーカリストなどを務めて活躍している。

1934年 井上ひさし 作家
1936年 井川比佐志 俳優
1936年 山口崇 俳優
1939年 内田裕也 歌手
1959年 小野みゆき 女優
1966年 ソフィー・マルソー 女優
1970年 城島茂 タレント
1976年 ユン・ソナ 俳優
1978年 堂珍嘉邦 歌手


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面白雑学

(11月17日)

今日の面白雑学(11月17日)

〔将棋とチェスは兄弟〕

 将棋とチェスは、二人で対局することや王を取りあって勝敗を決めることなど、ルールがよく似ている。

 それもそのはず、両方のゲームとも、元をたどれば5世紀末の古代インドで始まった「チャツランガ」というゲームが原型になったものだからだ。

 シルクロードを通ってヨーロッパに伝わったものがチェスとなり、中国に伝わったものが将棋となった。

 日本には遣唐使が持ち帰り、平安時代には36枚の駒を使う現代の将棋の原型のほか、駒が68枚の将棋もあったという。中世には96枚とか130枚の将棋も登場したが、ルールが複雑ですたれていった。

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康なども将棋好きで、奨励したという。


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