HOME 今日は何の日館 PC版へ移動現在:スマホ版
 
今日は何の日今日の運勢運勢暦五節句誕生石・誕生花
年間祝祭日年中行事・祭り暦の歴史今日の雑学サイト情報

〔今日の雑学〕

2月

1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
 

 一年中のどんな日にも、長い歴史の中で大事件が起こったり、歴史に名を残す偉大な人物が生まれたり、偉大な発見や発明がなされたりしています。

 あるいは、後世の人たちが永遠に楽しめるような魅惑的な音楽や芸術作品が登場したりするものです。

 歴史に多大な影響を与えるような出来事があれば、それに伴い様々な逸話が誕生したりもします。このコーナーでは、その日に関連するそんな逸話のようなものを掲載しています。それなりに示唆するものがありますから、楽しんで下されば嬉しいです。



 毎月のカレンダーに載っているような大事な記念日などは、だれでも大体の見当がつくものです。

 例えば、2月11日が「建国記念の日」や2月23日「天皇誕生日」が国民の祝日だってことは誰でも知っています。でも、2月1日~2月7日が「生活習慣病予防週間」とかなると、ちょっと想像できないですね。

 このような国民の祝日などに限らず、たとえば、あなたと同じ誕生日にはどんな有名人がいて、どんな逸話を残してくれたかなども興味が湧きますね。そこで、2月の毎日のことに関連する逸話などを調べてみました。

1日 ・TVことはじめ
2日 ・カリフォルニアはメキシコだった!
3日 ・豆まきの起源
4日 ・二十四節気
5日 ・アポロ14号月面着陸
6日 ・海苔(のり)の裏表
7日 ・ユートピアはどこに?
8日 ・ミシンの発明
9日 ・フグは食べたし…
10日 ・梅暦
 
11日 ・万歳の起源
12日 ・江戸の地名はどこからきた?
13日 ・水商売はいつ始まった?
14日 ・バレンタインとチョコレート
15日 ・世界初の電子計算機
16日 ・鯛焼きにも「発明者」がいた!
17日 ・坂口安吾のペンネーム
・ノアの箱舟伝説
18日 ・江戸の敵を長崎で?
19日 ・大塩平八郎の乱
20日 ・日本初の普通選挙
 
21日 ・自由人・夏目漱石
22日 ・謎の多い聖徳太子
23日 ・威信を示す安土城
24日 ・年ごとに名前を変えた人物
25日 ・多大な恩恵をもたらした用水
26日 ・女性化したナポレオン
27日 ・ニュートンの林檎の木
28日 ・2月はなぜ日数が少ないのか
29日 ・閏年とは



おもしろ雑学

今日の面白雑学(2月1日)

〔TVことはじめ〕

 「TVは麻薬のように中毒になる」「TVは真実の代理ではなく、真実そのものになる」とは、TVの出現に際してメディア学者のマーシャル・マクルーハンが述べた言葉だが、現代はまさにそんな状況となっている。

 さて、そんなTVの発明は、ドイツのノーベル賞物理学者ブラウンがブラウン管を開発した1897年にさかのぼる。

 1911年にはロシア人のロージングがブラウン管を用いたTVの送信実験を初めて公開した。1925年には、イギリスのベアードが動画の送受信実験に成功している。

 彼の機械的走査方式を改良し、現代と同じ電子式走査方式の送受信システム(アイコノスコープ)を発明したのはロシア出身のアメリカ人のツヴォリキンで、1933年のことである。1936年には英国国営放送BBCが一般向けのTV放送を開始し日本では1939年にNHKが実験放送に成功している。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月2日)

〔カリフォルニアはメキシコだった!〕

 1846年5月3日にアメリカとメキシコとの間に戦争が起こった。これは、1936年にメキシコから独立して共和国となったテキサスを1945年にアメリカが併合するにあたってヌエセフ川の北側を占領、メキシコを挑発したことによる戦争である。

 1948年の2月2日、グワダルペ・イダルゴ条約が結ばれ、アメリカの勝利で戦争は終結する。国境はリオ・グランデとされ、メキシコはカリフォルニア、ユタ、ネバダ、アリゾナ地方など国土の北半分をアメリカに奪われてしまう。

 アメリカは、1776年の独立宣言以来、領土拡張を図ってきたが、1803年にフランスからルイジアナを、1967年にロシアからアラスカを購入して拡大する。

 1898年にはキューバの独立運動を利用してスペインとの間の米西戦争を起こして勝利し、フィリピン、グアム、プエルト・リコを奪い、ハワイを領有して現在の国土をほぼ完成させた。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月3日)

〔豆まきの起源〕

 2月3日といえばは節分の日。節分とは立春、立夏、立秋、立冬の前日、つまり季節の変わり目のことで、狭い意味では立春の前日を指す。

 旧暦では立春が元日にあたるため、いろいろな行事を行う風習がある。豆まきは大陸から入ってきた「追儺(ついな)」「鬼遣(おにやらい)」などと呼ばれる宮中行事が起源である。

 日本へは文武天皇の706年に疫病が流行したことをきっかけに取り入れられ、平安時代には年中行事となった。

 「当時は陰陽師(おんみょうじ)が祭文を詠むなか、大舎人(おおとねり)寮の長大な者が黄金四目の面をつけた方相氏となって「鬼遣!」と大声を上げ、右手の戈(ほこ)で左手の楯を叩いて疫鬼を追い、群臣が桃の弓と葦の矢で打った。

 のちに、方相氏自体が疫鬼と見られるようになり、民間の豆まきの習俗と結びつけられて、今日の形となった。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月4日)

〔二十四節気〕

 新暦で2月4日ころの「立春」は、大陸から入ってきた「二十四節気」のひとつである。これは陰暦に太陽暦的要素を取り入れて季節を知る目安にしたもので、12個の中気と12個の節気の総称である。

 二十四節気は、太陽の黄道を24等分した点に太陽の中心がくる日で決める。たとえば太陽が黄経0度の点を通過する時が春分で、2月の中気とする。

 ただ太陽の動きは一定でないため閏月を設ける必要があり、その計算は複雑で難しい。  二十四節気それぞれの名称は、春夏秋冬に亘って次のようになっている。

春:立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨
夏:立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑
秋:立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降
冬:立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒

 陰暦の季節を表す言葉にはほかにも土用、節分、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などといった「雑節」がある。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月5日)

〔アポロ14号月面着陸〕

 アポロ計画は、1961年にケネディ大統領が「69年末までに成功させる」ことを宣言してスタートした。

 1957年の人工衛星の打ち上げでも、1961年の世界初のガガーリンによる有人飛行でも、1966年の無人の月面軟着陸においても、ソ連に「世界初」の栄光を奪われていたアメリカは、このアポロ計画に威信を賭けていたのだった。

 アポロ計画は、NASAが主体となり、約17万5000人の人員と約9兆円の予算を投入して推進してきた。

 1969年7月21日にはアームストロング船長らが人類初の月面軟着陸に成功し、以後、1972年のアポロ17号までに7回の打上げと6回の月面着陸計画は終了した。13号は機械船の酸素タンク爆発のため月面着陸を中止したため、着陸はできなかった。

 1971年2月5日は、アメリカの宇宙船アポロ14号の月着陸船が3回目の有人月面軟着陸に成功した日である。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月6日)

〔海苔(のり)の裏表〕

 日本独特の保存食品である海苔は、江戸時代から浅草付近で採取されて市販されていた。海苔には海水産と淡水産とがある。海水産の代表が浅草海苔で「浅草海苔巻き」は1787年に江戸の寿司店が考案したとか。

 さて、ものにはたいてい表と裏がある。たとえば、日本刀は腰に差した時に外側になるほうが表で、包丁は右手でものを切る時に外側になるほうが表である。

 では、海苔はというと、表面に光沢が少なくざらざらしているほうが表であるという。

 海苔は浅草海苔や青海苔を細かく刻んでから適当な濃さに淡水に溶かしたものを簀(す)の上に置いて、天火で2~3日干しあげて作られる。

 この際、表のほうを充分に乾かしてから裏も乾かす。そのため、長く簀に接して、直射日光にあたる時間が短い裏のほうがつるつるでよく光ることになるのである。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月7日)

〔ユートピアはどこに?〕

 1478年2月7日、トーマス・モアは裁判官の子としてロンドンに生まれた。彼は国王ヘンリー8世の信任を得て、下院議員から大法官になる。

 しかし、カトリックの信仰を固持して国王の離婚に反対したことで、ロンドン塔に幽閉され、1535年7月6日にギロチンで処刑されてしまう。

 1516年に刊行された彼の著書『ユートピア』は思想家としての名も高めた政治的空想物語である。

 原文はラテン語で、著者がフランドルでヒスロディなる人物から聞いた話という形を取っている。

 第1巻では囲込み運動下の英国社会や私有財産制を批判、第2巻ではユートピア島における選挙による君主制、土地・財産をすべて社会全体のものにする共産主義的な理想社会を描いている。

 ユートピアはギリシア語から合成した「どこにもない所」という意味の語で、理想国家・理想社会を表すようになった。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月8日)

〔ミシンの発明〕

 2月8日(地方によって12月8日)は「針供養」の日である。手縫いの針、ミシンの針などが供養される。

 ミシンという言葉は、「ソーイング・マシン」が日本で訛ったものだが、どのようにして発明されたのだろうか。

 そのキーとなるのが針だ。手縫いの針とは逆にミシンの針は先端に穴があり、針は上下するだけで糸と布を送っていく。これは19世紀にボストンのエライアス・ハウという機械工が発明したといわれており、こんな嘘っぽい逸話がある。

 ハウの妻はいつも夜遅くまで裁縫の内職をしており、妻の仕事を少しでも楽にしようと裁縫機械を発明しようと決心した。そんなある夜、彼は槍をもった土人たちに追いかけられる夢を見たが、よく槍を見てみると先に穴があいていた。そこでハウははっと目をさました。そして槍の穴をヒントに針の先に穴をつけることを思いついたというのである。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月9日)

〔フグは食べたし…〕

 2月9日は、そのゴロ合わせから、「ふぐの日」という記念日になっている。食通にはたまらない味が、「ふぐさし」や「ふぐちり」である。

 2月は脂がのったフグが最もおいしい時期だといわれる。高価な食材なので、庶民の口にはなかなか入らないが、フグは、その別名を「鉄砲」と呼んだ。これは、「あたれば命取り」ということからきた名前だとのこと。

 ご存じのように、フグの肝臓や卵巣には、猛毒が含まれる。これは一種の神経毒で、重症の場合は、呼吸困難を起こし、死に至る恐ろしい毒である。

 しかし日本人は有史以前からフグを食べていたようで、貝塚からフグの骨が出土している。このフグの毒は、体内でつくられるのか、餌などによって外からとりこまれるのか、いまだによく分からないという。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月10日)

〔梅暦〕

 梅が春の訪れを知らせるように咲くことから、梅の開花によって春を知ることや、春を知らせる梅の花そのものを「梅暦(うめごよみ)」という。かつては音読みして「ばいれき」とも読まれた古い言葉である。

 清楚で気高く、百花に先んじて早春に咲く梅は古来から人々に愛されており、かの「万葉集」にも、梅の歌は112首も詠み込まれている。ちなみに、このころに詠まれたのは白梅で、紅梅は清少納言や紫式部などの平安時代の女房たちの手によって文芸上に登場するようになった。

 江戸時代末期(1832年頃)には、為永春水・作、柳川重信と重山・画の『春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ/春色梅児誉美とも書く)』という人情本も書かれている。

 これは色男の唐琴屋丹次郎と深川芸者の米八・仇吉、許嫁のお長をめぐる恋のもつれを下町情緒豊かに描いた物語である。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月11日)

〔万歳の起源〕

 1889年2月11日には、大日本帝国憲法発布式が行われたが、このとき、天皇を迎えた人々は、「万歳(ばんざい)」と三唱した。日本において、「ばんざい」と三唱された初めてのことである。

 平安時代の史書『三代実録』に万歳の最も古い記録がある。桓武天皇の平安遷都の際、「群臣ともに万歳と称して再拝踏踊」したとある。しかし、当時は「ばんぜい」と発音していたのだという。

 憲法発布式でもどんな言葉とするかは議論があった。文部省提案の「奉賀」は続けて叫ぶと「阿呆が」に聞こえるため退けられ、臨時編年史編纂掛提案の「万歳」に決定した。

 次は「万歳」を「ばんぜい」と読むか「まんざい」と読むかということでもめたが、結局は折衷案の「ばんざい」になったのだという。

 万歳は日本だけの言葉ではなく、日本統治下における最大の朝鮮独立運動である三・一運動(1919年)では、「朝鮮独立万歳」と叫んだために「万歳事件」と呼ばれたことは有名だ。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月12日)

〔江戸の地名はどこからきた?〕

 現在の江戸城を築いたのは、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命で江戸に入った徳川家康である。しかし、実は、江戸城を最初に築いたのは、太田道灌である。時代は1457年のことで、その地は江戸城の城下町として発達したが、江戸という地名の由来は定かではない。

 1603年2月12日、徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開いたが、将軍家の居城としてふさわしい城とすべく本格的な整備をはじめたとされる。

 歴史書『吾妻鏡』によると1180年ころ江戸太郎重長という豪族が住んでいたとされ、豪族は地名から氏姓をつけることが多かったから、平安時代にはすでに江戸という地名があったとも考えられる。

 江戸という言葉そのものの語源としては「江の門戸」、つまり「入江にそそぐ河川の出入り口」の意味とする説がある。水戸・瀬戸など海辺や川辺の地名には「戸」のつくところが多く、江戸の「戸」もそれと同じとするものだ。

 ほかにも、荏草の多い土地であったから荏土(えど)と呼ばれたとする説や、アイヌ語で鼻(地形が鼻に似ている)を表すエツという言葉に由来するという説がある。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月13日)

〔水商売はいつ始まった?〕

 1986年2月13日、従来の風俗営業等取締法より制限を強化した「風俗営業等の規則及び業務の適正化等に関する法律(新風営法)」が施行された。

 法律で「風俗営業」とされるのは、キャバレー・料理店などの接待・遊興飲食営業、麻雀屋・パチンコ屋などの射幸遊技営業、ポルノ・ショップやストリップ劇場などの性産業である。

 これら、客の入り具合によって収入が大きく増減する、不堅実・不安定な商売を、俗に「水商売」と呼び、水商売で働く女性を「おミズ」と呼ぶ。

 その語源には、水は1カ所にとどまらない不確かなものだからとする説、江戸時代の「水茶屋」からきたとする説など諸説ある。

 江戸の水茶屋は吉原遊郭を作った庄司甚内が1600年に初めて開いたとされており、最初は喫茶店みたいなものだったのが、やがて若い女性と小部屋を設けるようになった。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月14日)

〔バレンタインとチョコレート〕

 そもそもバレンタイン・デーとは、西暦270年ころの2月14日、アイルランドの聖人バレンティヌスがローマ皇帝クラウジウスのために殉教させられたことにちなんだカトリックの祝日である。

 諸説があるが、ローマ神話の女神ユノ(ジュノー)の伝説や、小鳥が配偶者を求めて飛び回る民間伝承が結びつき、14世紀ころから「人類愛を称える日」「女性が男性に愛を打ち明けても許される日」として、カードやプレゼントを贈りあうようになった。

 日本で「女性から男性にチョコレートを贈り、愛を告白する日」となったのは、メリー・チョコレートの販促活動としてキャンペーンしたときからである。

 1958年に始まった時には、3日間のセールで、たった5枚しか売れなかったが、現在ではチョコレートの年間消費の約4分の1がバレンタイン・セールの期間に販売されるまでになっている。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月15日)

〔世界初の電子計算機〕

 1946年2月15日、真空管を使った世界最初の電子計算機「ENIAC(エニアック/電子式数値積分計算機)」の完成式が行われた。

 陸軍の依頼によりアメリカのペンシルベニア大学のエッカートとモークリーが完成したもので、真空管数1万8800本、所要電力 120kw、重量30トンという巨大さだった。

 この電子計算機は、1946年から1955年までアメリカのアバディーン弾道研究所で、弾道計算、天気予報、原子核などの計算に利用された。

 数字の表記はまだ10進法で、記憶量は10桁で数十個、プログラムの記憶内蔵もなかった。しかし、10桁の加減算は5400回/秒という計算速度を誇り、従来の機械より圧倒的に速かった。

 その後、1947年にフォン・ノイマンが、1949年に英国ケンブリッジ大学のウィルクスらが、プログラム内蔵方式の電子計算機を開発し、今日のコンピュータの原型となった。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月16日)

〔鯛焼きにも「発明者」がいた!〕

 大阪出身の神戸清次郎という人物は、銀行家の息子であったが、東京でひと旗あげようと上京した。今川焼きを売りはじめたが、それではあまりにありふれているので、別のものをと考えた。

 まず、亀の形をした今川焼き「亀の子焼き」を作ったが、これはさっぱりの売れ行きで失敗。更にいろいろな形を考えた末、当時は高価で庶民の口にはなかなか入らなかった鯛をかたどることにしてみた。

 そうして発明というより形を変えただけのものだったg、「鯛焼き」を売り始めたのが1909年のことである。

 当初は屋台で細々と売っていたものの、やがて爆発的に売れだし、たちまちひと財産を築くにくたったいた。

 その味は今も東京・麻布十番にある「浪花屋総本店」に受け継がれている。ちなみに450万枚を記録した1976年の超ヒット曲「およげ!たいやきくん」は、ここの鯛焼きがモデルになったといわれている。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月17日)

〔坂口安吾のペンネーム〕

 日本の小説家で、エッセイストの坂口安吾(本名:炳五(へいご))が、1955年のこの日に脳出血のために倒れ他界したことにちなみ、2月17日は「安吾忌」として供養されている。

 終戦直後発表の「堕落論」がベスト・セラーとなり、太宰治らとともに「無頼派」と呼ばれた。覚醒剤・睡眠薬・酒に加えて、鬱病による精神錯乱など問題も多かったが、時代の寵児として「桜の森の満開の下」などの名作を残し、後の時代の多くの作家に影響を与えた。

 「炳五」という名前の「炳」の字には「輝く」という意味がある。しかし、中学時代の漢文教師が、根暗な性格のお前には似合わないから「暗吾」と名乗れといったことから、これをもじって、筆名を坂口安吾としたのだという。

〔ノアの箱舟伝説〕

 『旧約聖書』の「創世記」には、『ノアの洪水』の物語があります。それによれば、ノアが600歳の時の第二の月の17日のことでした。聖書の年代から計算すると、紀元前3000年頃の出来事になります。

 その時代、地上には悪人が蔓延り、これをよしとしない神が怒り、大洪水を起こして人類を滅ぼそうとします。しかし、神に恭順していたノアにだけは、このことを伝え箱舟を造るようにと命じたのでした。

 ノアは、「長さ300キュビト、幅50キュビト、高さ30キュビト」(現在の尺度ではおよそ「長133.5m、幅22.2m、高13.3m」)の方舟を建造します。方舟は、三階建ての大きさでゴフェルの木でつくられ、内部に多数の小部屋があった。方舟の内側も外側もタールで塗られ水が侵入しないようになっていた。

 方舟を完成したノアは、家族全部とすべての動物のつがいを乗せた。そして運命の日、2月17日がやってくると、大洪水が起こり、それは40日40夜も続いて地上の生き物を滅ぼしつくした。

 水は150日ものあいだ勢いを失うことなく、木の葉のように彷徨した方舟はやがてアララト山の頂上に辿り着く。偵察に出した鳩からの知らせで、ノアは洪水が終ったことを知り、家族や動物たちとともに船を降り、神様に感謝するのだった。

 神は、ノアたちを祝福し、今後は人類を滅ぼすような洪水を起こさない事を約束したのだった。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月18日)

〔江戸の敵を長崎で?〕

 1873年2月18日、東京~長崎の有線電信工事が完成した。

 ところで「東京と長崎」と言えば「江戸の敵を長崎で討つ」ということわざが思い起こされる。現在では、意外な時や場所で敵を討つことや、お門違いな仕返しをすることを指す諺だ。

 しかし、本来は商売上の競い合いから生まれた言葉で、「江戸の敵を長崎“が”討つ」と言うのが正しいとする説がある。

 というのも、江戸時代の文政年間(1818~30年)のころ、大阪の一田正七郎という籠職人が、大きな釈迦像や動物などを作って江戸で商売して大成功した。

 それには江戸っ子の職人も太刀打ちできず、悔しがることしきり。今度は長崎の細工師がからくり仕掛けの船やガラス製品などを持って江戸に乗り込み、大阪商人を凌ぐ人気となった。つまり大阪に負けた江戸の敵を長崎が討ったわけで、これが語源となったというものだ。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月19日)

〔大塩平八郎の乱〕

 1833~36年、長雨・洪水・冷害による大凶作で全国的に「天保の大飢饉」が起った。しかし、幕府の飢饉対策は不充分きわまりないものであった。

 各地で一揆や打毀(うちこわ)しが起こった。なかでも大規模だったのが、大塩平八郎の乱である。1836年、大阪町奉行の元・与力で陽明学者だった大塩平八郎は奉行所に難民救済を直訴したがかなわず、蔵書5万巻を売り払い、代金を困窮民に分配した。

 さらに蜂起計画を立てていたが途中で機密が漏洩、準備不足ながら、1837年2月19日、300人以上の門人や近在農村の富農を率いて決起する。

 町に火を放ち、船場を襲い、鴻池ら豪商の蔵を打毀し、金や米を窮民に与えたが1日で鎮圧され、大塩は自刃して果てる。しかし、彼の人望は厚く、その後も「大塩一党」と名乗る百姓一揆が続き、老中・水野忠邦は天保の改革に乗り出すことになるのである。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月20日)

〔日本初の普通選挙〕

 1928年2月20日、普通選挙法に基づく最初の総選挙が行われた。普通選挙とは、身分、財産などに制限されることなく選挙権が与えられる制度である。

 この選挙では納税額による制限が撤廃され、男子のみではあったが、25歳以上に選挙権が、30歳以上に被選挙権が認められることとなり、投票率は80%以上、無産政党から8名が当選した。

 日本の普選運動は、1900年に普通選挙同盟会が普選請願書を衆議院へ提出したことから本格化したが、共産主義運動の拡大を怖れた原敬内閣は、議会を解散して対抗した。

 1911年に普選法は衆議院を通過したが、貴族院で否決されてしまう。1920年には東京で7万5000名のデモが行なわれた。

 1925年、憲政擁護運動の高まりを受け、加藤高明の護憲三派内閣がようやく普選法を制定したが、共産主義運動を弾圧する治安維持法との抱き合わせだった。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月21日)

〔自由人・夏目漱石〕

 1911年2月21日、夏目漱石は博士号授与の通知を辞退したが、文部省は了承せず、物別れに終わったという。これは漱石の気骨を示す有名なエピソードである。

 漱石は権威、権力、金力といったものは大嫌いな自由人で、叙勲はもちろん、お金にも縁がなく、一生借家で過ごしたほどである。

 そんな彼は小さいころから「変人」扱いされてきたが、そもそも筆名からして負け惜しみの強い頑固者を表す故事「枕流漱石」に由来している。

 文壇と交わることもなく、内閣総理大臣・西園寺公望が自邸で催した文士の会の招待でさえ2度も断っている。

 この会へは、森鴎外、幸田露伴、泉鏡花、国木田独歩、島崎藤村、田山花袋らが出席している。欠席したのは漱石のほか坪内逍遥、二葉亭四迷くらいだった。同じ非(反)自然主義の文豪でも、胸いっぱいに勲章をつけて肖像写真を撮っている鴎外とは好対照である。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月22日)

〔謎の多い聖徳太子〕

 622年2月22日、現在の法隆寺東院にあたる斑鳩(いかるが)宮で、厩戸(うまやどの)王子(謚号・聖徳太子)が没した。

 574年に豊日王子(謚号・用明天皇)を父に、穴穂部間人媛を皇后として生まれた聖徳太子は、日本史の登場人物ではとりわけ人気が高いが、その人物像には謎も多い。

 そもそも、日本で最初の歴史書「古事記」が完成したのは、太子の死後100年近くが経ってからのことである。太子について書かれた本や絵巻も数多くあるが、さらに後の時代になってからのものばかりで、伝説化・神話化された要素が多いのだ。

 だから逆に、太子の業績とされているものはすべて蘇我氏の業績だったとか、戦争好きだったとか、母親とは不仲だったなどと推測をする研究者もいるし、実母と異母兄が再婚したことが原因でノイローゼになり湯治に行っていた、なんて話まである。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月23日)

〔威信を示す安土城〕

 長篠の戦いで武田信玄を破った織田信長は、1576年正月、穀倉地帯の近江平野が近く、東海・東山・北陸道の交差点となっているため、外敵の上洛を防ぎやすい安土山上に築城を始めた。

 同年2月23日には自ら安土に入って、普請奉行の丹羽長秀を督励する。城が完成し、居城を岐阜から安土に移すには4年の歳月がかかった。

 安土城は天下人たらんとする信長の威厳を示すもので、五層七重の天守閣は瓦に金箔を貼り、内部の障壁画は狩野永徳に描かせ、二の丸・三の丸など多くの建物が軒を連ねた大建築であったという。

 城の周囲には、深く広い堀をめぐらし、鉄砲の威力に対応させ、以後の城郭建築の手本となった。この地で安土桃山文化の基礎を固めた信長だったが、1582年の明智光秀の謀叛により焼失した。現在、城址には信長の菩提を弔って建てられた総見寺がある。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月24日)

〔年ごとに名前を変えた人物〕

 1934年2月24日、芥川賞と並ぶ日本の二大文学賞・直木賞にその名を残す、直木三十五が他界した。彼の代表作「南国太平記」からとって、この日は「南国忌」として供養されている。

 早大を中退し、1923年、「文藝春秋」の創刊に参加し、のちに「南国太平記」で流行作家となった直木の本名は、植村宗一という。

 ペンネームの直木三十五は、本名の一字「植」を2分して苗字を直木としたのである。名前の三十五は、実は毎年変わっていた。一つ年をとるたびに、年齢に合わせて三十一、三十二、三十三と変更していたという。

 しかし、35歳以降は、面倒になったのか、語呂がよかったからなのか分からないが、名前はずっと変えず、三十五のままとなった。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月25日)

〔多大な恩恵をもたらした用水〕

 1670年2月25日、現在の静岡県裾野市にあり、富士山麓の駿東郡一帯を灌漑する箱根用水が、商人や農民の手によって完成した。

 富士溶岩流を基盤とする吸水性火山灰質の砂礫層上に生活していた農民は毎年、旱魃に苦しんでいた。名主・大庭源之丞はトンネルを掘って箱根の芦ノ湖の水を引く計画を立て、1663年に幕府の許可を得る。

 元締(資本主)は浅草の町人で、のちに「義民」と仰がれた友野与右衛門である。開削作業は1666年8月に着工し、堅い箱根外輪山湖尻峠の底を東西からノミやツルハシで掘り進んだ。

 そして1670年2月25日、ついに全長1.28km(東西での食い違いは1m ほど)の地下水道は完成したのである。総工費7335両、延べ人員83万3500人。これにより農業も安定し、深良・富士岡などの各村に530町歩の美田ができた。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月26日)

〔女性化したナポレオン〕

 ヨーロッパ同盟軍に敗れ、エルバ島に流されていたナポレオン・ボナパルトは、1815年2月26日の夜、7隻の船に大砲を積み、脱出に成功した。

 再び帝位についたが、結局は「百日天下」といわれるように、すぐにヨーロッパ同盟軍に敗れて南海の孤島セント・ヘレナに流され、1821年5月5日に52歳で病没する。

 さて、彼の肖像画は威風堂々としているが、実際の身長は160cm足らずで、お腹が出て、ハゲだったことはつとに有名である。

 彼は正式な妻二人のほかに数十人の愛人がいたといわれ、まさに「英雄色を好む」というパワフルな男だったようだが、49歳ころからホルモンの分泌異常か、身体全体が女性化していったという。

 晩年の彼は、次第に胸が女性のように膨らんで体毛も消え、肌までスベスベしていたというから驚きである。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月27日)

〔ニュートンの林檎の木〕

 1875年2月27日、現在の東京都文京区にある小石川薬園が小石川植物園と改称された。この植物園に「ニュートンの林檎」があるのをご存じだろうか。

 アイザック・ニュートンは林檎の実が木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したといわれるが、エピソードの真偽は別として、庭に林檎があったのは事実らしい。

 ニュートンは三大発見を思いついた1665年、ペストの流行から逃れてロンドンから母の実家のウールスソープに疎開しており、その家の庭に林檎の木があったというのだ。

 その木は1820年ころに枯れてしまったが、接木して新しい林檎が育てられた。その1本が小石川植物園にあるというわけである。1964年に英国国立物理学研究所所長サザランド卿から東大の柴田雄次教授に贈られたもので、この木に合格祈願する受験生もいるとのことである。さぞかし効果抜群であろう。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月28日)

〔2月はなぜ日数が少ないのか〕

 他の月は30日か31日なのに、なぜか2月だけが28日(うるう年は29日)しかない。31日ある月を減らして2月も30日にしてもよさそうなものだが、これには歴史がからんでいるのだ。

 現行の「グレゴリオ暦」は、ユリウス・カエサル(シーザー)が作った「ユリウス暦」がもとになっているが、それ以前のローマ暦では、現在の3月が年始めの月で、2月が最終月になっていた。

 そこでカエサルは改暦にあたり、3月から順に各月の日数を31日と30日に定め、最終月の2月は29日(うるう年は30日)としたのだ。

 さらにユリウス暦で8月(セクスチリスの月)は30日だったが、やがて、カエサルが死んでアウグストゥスが皇帝になる。

 彼は皇帝の誕生月である8月が大の月(31日)でないのは不満だとして、自分の名にちなんでアウグストゥスの月として、2月から1日とって31日としてしまった。それで2月は28日になってしまったのだ。


ページのトップへ戻る

今日の面白雑学(2月29日)

〔閏年とは〕

 普通の年は1年365日ですが、4年ごとに366日になり2月29日まであります。閏日のある年は通常、夏季オリンピック開催の年で、西暦年数が4で割り切れる年です。

 地球が太陽の周りを1回りする1年の長さは、正確には365.242195日と言われています。暦で1年を365日とすると、0.242195日が余ります。これが4回たまると0.9687日となり、これが約1日なので4年に1回閏年を設け調節するのです。

 しかし100年、200年… という長い目で見ると、さらに微妙に誤差が生じます。うるう年を決定する方法は次のようになっています。

1.西暦年数が4で割り切れる年は原則として「うるう年」とする。
2.上記の例外として、西暦年数が100で割り切れる年は「平年」とする。
3.さらに例外として、西暦年数が400で割り切れる年は「うるう年」とする。

 これが1582年、グレゴリオ法王が制定した世界で現在一番多く使われている太陽暦のグレゴリオ暦です。このため、西暦2000年は、西暦年数が100で割り切れるにもかかわらず、400でも割り切れるので、閏年でした。

 ところで、2月29日生まれの人は誕生日が4年に一度しかないが、確実に毎年、1つずつ歳をとっている。どこで区切るのだろうか。民法の「20歳の計算方法」の記載によると、2月29日生まれの人が成年になるのは、閏年を除く年は「28日の満了時」、すなわち3月1日の午前0時0分ということになっています。うるう日生まれの人も歳はとれるのでご安心ください。



世界の偉人館おすすめ今日の運勢館

ページのトップへ戻る