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〔今日の雑学:7月〕



 一年中のどんな日にも、長い歴史の中で大事件が起こったり、歴史に名を残す偉大な人物が生まれたり、偉大な発見や発明がなされたりしています。

 あるいは、後世の人たちが永遠に楽しめるような魅惑的な音楽や芸術作品が登場したりするものです。

 歴史に多大な影響を与えるような出来事があれば、それに伴い様々な逸話が誕生したりもします。このコーナーでは、その日に関連するそんな逸話のようなものを掲載しています。それなりに示唆するものがありますから、楽しんで下されば嬉しいです。



 毎月のカレンダーに載っているような大事な記念日などは、だれでも大体の見当がつくものです。

 とはいえ、7月第3月曜日が「海の日」であることや、7月第2月曜日が「スポーツの日」であることは、カレンダーを見なければ想い出せない。しかも、東京オリンピックが予定されていたために、2020年に限っては「海の日」は7月23日に、「スポーツの日」は7月24日に変更されていました。

 しかし、コロナウイルス感染症の関係でオリンピックが1年後に延期されてしまいましたが、結局、休日は変更されたままとなっています。

 このような国民の祝日などに限らず、たとえば、あなたと同じ誕生日にはどんな有名人がいて、どんな逸話を残してくれたかなども興味が湧きますね。そこで、7月の毎日のことに関連する逸話などを調べてみました。


1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
 
1日 ・誤解から決まった国名 カナダ
2日 ・うどんの由来
3日 ・不快指数のしくみ
4日 ・白くないのになぜ白書なの
5日 ・ビキニ水着の由来
6日 ・メロンの名前の意外な由来
7日 ・七夕の由来
8日 ・質屋の歴史
9日 ・絶叫マシンの安全性は?
10日 ・昔の納豆は糸を引かなかった
 
11日 ・サーフィンの始まり
12日 ・雷が鳴れば梅雨明け
13日 ・いなびかりと雷鳴
14日 ・日本はいつから日本なのか
15日 ・お中元の由来
16日 ・梅干の効用
17日 ・へちまの名の由来
18日 ・初の光化学スモッグはアメリカ
19日 ・アンカーという名の由来
20日 ・人類にとっては大きな跳躍だ
・カーネル人形はなぜ白スーツ?
 
21日 ・蚊に刺されるとかゆくなる
22日 ・下駄の始めは一本歯
23日 ・手紙の語源
24日 ・聖火が途中で消えたら?
25日 ・オリンピックで綱引き?
26日 ・バタフライはオリンピック起源
27日 ・参加することに意義がある
28日 ・五輪金メダルの製造はどこで
29日 ・バスケットボールの起源
30日 ・江戸時代、人は左側通行だった
31日 ・マラソン競技の由来

おもしろ雑学

今月にはこんな面白いお話があるよ!

今日の面白雑学(7月1日)

誤解から決まった国名 カナダ

 1864年、イギリスの4つの植民地が連邦を結成してカナダとなり、1867年7月1日、イギリス連邦カナダ自治領になった。

 これを記念して、毎年7月1日は「カナダ・デー」(建国記念日)とされている。しかし完全な独立国家となるまでには、その後、115年の歳月を要した。

 カナダという国名は、インディアンのカナタ(kanata=小屋の集落)という言葉を、この地にきたフランス人、J・カルティエが地名と思い込んだことからついた名だという。


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今日の面白雑学(7月2日)

うどんの由来

 うどんはもともと中国のもので、奈良時代には日本に伝わっている。

 その頃は今のような形ではなく、小麦粉の皮に野菜や肉のあんを入れて煮た「混沌(こんとん)」と呼ばれる団子状のものであった。

 こねた小麦粉を平たくのばして切るという現代のような形になったのは室町時代ともいわれ、呼び名も「こんとん」から「うんとん」、「うどん」へと変わっていったのである。


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今日の面白雑学(7月3日)

不快指数のしくみ

 7月ともなれば、よく聞くのが不快指数という言葉だ。

 暑くなると汗をかき、汗が蒸発するときに体から熱を奪うことで体温を一定に保つように調節しているのだが、湿度が高いと汗が蒸発しにくくなり、体温が下がらず不快に感じるようになる。

 そこで気温と湿度の組み合わせで、実際に体に感じる暑さを計ろうというのが不快指数の発想の原点である。

 不快指数が80になると、すべての人が暑くて不快だと感じる。気温が30度だと湿度が70パーセント前後で、不快指数80となる。湿度が80パーセントになると気温30度以下でも、不快指数は80になるから、誰でも相当不快に感じるようになる。


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今日の面白雑学(7月4日)

白くないのになぜ白書なの

 1947年の7月4日、日本で初の『経済実相報告書』が、当時の片山内閣により発表された。1951年になると、『経済白書』と呼ばれるようになった。

 各省庁が年次報告を発表する書類などを「白書」というが、この白書という言葉は、「white paper(ホワイト・ペーパー)」という英語からきている。

 元になったホワイト・ペーパーという言葉は、イギリス政府が国民に外交の内容を知らせるためにつくった報告書の名で、文字どおり白い紙を表紙に使っていたことから、こう呼ばれていた。

 日本の白書はそれを直訳したものである。


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今日の面白雑学(7月5日)

ビキニ水着の由来

 7月の初旬ともなれば、いよいよ海のシーズンの幕開けである。海水浴といっても最近は、泳ぐためより見せるための水着が一般的に定着している。

 なかでも大胆なビキニ姿は渚の注目の的である。このビキニ水着が発表されたのが1946年の7月5日のことであった。

 この日、フランスのルイ・レアールが世界で最も小さい水着として発表したのが最初だとされる。

 ビキニより先に発表された大胆なカットの水着が、アトム(原子)と呼ばれ、世界で最も小さい水着として評判になっていたことから、それよりもっと大胆な水着ということで、発表の4日前にアメリカの原爆実験を行ったビキニ環礁からその名をとって名前をつけたのだという。


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今日の面白雑学(7月6日)

メロンの名前の意外な由来

 高級果物の代名詞ともなっているのがマスクメロンである。その名前は網目のようになっている皮の模様からきていると思われているが、実はこれは誤りである。

 マスクとは「musk」と書き、香水に使われる麝香(じゃこう)のことで、その芳醇な香りからつけられた名前なのだ。

 ちなみに「アンデスメロン」も、その名を聞くとアンデス原産かと思うが、これは、どれもおいしくて「安心です」という意味から始まった。「安心です」が訛りなまって最終的に「アンデス」になったのだという。


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今日の面白雑学(7月7日)

七夕の由来

 7月7日は七夕の日である。この日、年に一度だけ、天の川を渡って織女と牽牛が出会うという織女伝説がもとになっている。

 旧暦の7月7日の夕方である七夕(しちせき)が、布を織る機(はた)の名である「たなばた」と呼ばれるようになった。

 中国では七夕に、女子は色糸を結び、7本の針とウリを供えて、手芸・裁縫の上達を祈るという。日本では機織りだけでなく、字も上手になるとされ、朝露ですった墨で短冊に詩や歌を書き、笹に吊して、織女星に供えた。

 誰にも、七夕ともなると笹竹に折り紙などを飾って、願い事を書いた短冊を付けた幼い頃の思い出があるものだ。

 7月6日の夜に作り、軒先やベランダなどに飾る。取り払うのは7日の夜となり、昔は近所の川に流したりした。近畿の一部の地方では、月遅れの七夕として、8月に行うこともある。


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今日の面白雑学(7月8日)

質屋の歴史

 担保をとってお金を貸す質屋は、古くから世界各地にあった。

 日本でも奈良や平安時代に土地などの質入れが行われ、701年に制定された大宝律令には、質の最高利息額が定められていた。

 しかし、この時代に貸し付けを行っていたのは、主に寺院や富豪である。現代のように専門的な職業になったのは、鎌倉時代の「土倉(どぞう)」が始まりだったといわれている。

 質屋の名称が生まれたのは江戸時代のことである。将棋の話で、「歩(ふ)でも何でも敵陣に入ると金(きん)になる」という洒落から、質屋の看板は、将棋の駒だったといわれる。


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今日の面白雑学(7月9日)

絶叫マシンの安全性は?

 日本初のジェットコースターが誕生してから60年余り経つ。

 最近は、絶叫マシンといわれるようにスリリングなものが次々と作られているが、安全性はどうやって決めているのか。

 ジェットコースターは乗り物ではあっても、全体は建造物の扱いになる。そこで安全性を認可するのは2001年までは建設省であったが、現在は国土交通省に再編されている。

 年々過激になっていくコースターは、それぞれに特徴があり、安全基準をそのまま当てはめられないことが多いので、建築以外に人間工学や心理学、医学などの専門家が集まって安全性を審査するという。


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今日の面白雑学(7月10日)

昔の納豆は糸を引かなかった

 納豆独特のネバネバは、好き嫌いがはっきり分かれるが、奈良時代に中国から伝わったといわれている当初は糸も引かず、塩辛い乾燥豆だった。

 中国ではトウチといわれ、納豆という言葉は純粋の日本語である。

 寺院の納所(なっしょ)で作られた豆だからという説や、桶に納めて貯蔵した豆だからという説などがあり、語源ははっきりしない。

 糸引き納豆については、東北地方が起源だとする言い伝えが、東北各地に伝わっている。


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今日の面白雑学(7月11日)

サーフィンの始まり

 1966年7月11日、100人あまりが参加して、千葉県鴨川海岸で日本初のサーフィン大会が行われた。

 サーフィンの発祥地はご存じのようにハワイ諸島である。

 古くからあったスポーツだが、本格的に広まったのは、1920年に、アントワープ五輪100メートル自由形の金メダリスト、カハナモクがワイキキにサーフィンのクラブを作ったことからである。

 日本では1960年ころ、アメリカ人が湘南海岸や外房海岸でサーフィンをするようになってから広まり、1965年には日本サーフィン連盟が発足している。


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今日の面白雑学(7月12日)

雷が鳴れば梅雨明け

 昔から、雷が鳴ると梅雨が明けるといわれている。

 強くなってきた太平洋高気圧に押し上げられた梅雨前線が日本を北上するころに、前線の近くに部分的に強い上昇気流がおこって、雷が発生する。

 だが、現実的には、雷は暑い太平洋高気圧が張り出して、夏が近づいた証でもあるのだが、梅雨前線は梅雨の終わりころ、かえって活発になり、北上したり戻ったりするので、雷が鳴ったからといって、必ずしも梅雨が明けるとは限らない。


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今日の面白雑学(7月13日)

いなびかりと雷鳴

 ゴロゴロ、ピカピカという雷の雷鳴といなびかりはどうして起こるのか。

 もともと電気を通しにくい空気中を、何億ボルトという雷の電気が一気に通るとき、この通り道に何万度という高い熱が発生し、光が発生する。これが雷のいなびかりである。

 また、この熱のために空気が急激に膨張して周りの空気を押し、押された空気が再び押し返してくるので、空気が振動するために大きな音が発生する。これが雷鳴として聞こえるというわけだ。


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今日の面白雑学(7月14日)

日本はいつから日本なのか

 1970年の7月14日、正式呼称として「ニッポン」が採用されたが、日本という国名が定められたのは大宝律令からである。

 古くは「秋津島(あきつしま))」とか「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」「大和(やまと)」などと呼ばれていた。

 大宝律令のころには日本と書いて「やまと」とか「ひのもと」と読まれていたが、奈良時代に漢字の知識が広がって、音読みで「にほむ」と発音するようになり、室町時代に東国の勢力が強まると、東国の発音によってニッポンと読まれるようになった。


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今日の面白雑学(7月15日)

お中元の由来

 お中元は、もともと中国の星祭りの一つで、1月15日が上元、7月15日を中元、10月15日を下元といい、これら三元の日には、庭で火を焚く行事などが行われていた。

 それが日本に伝わって、お盆の風習と結びつき、先祖の霊に供えると同時に、親戚などに食べ物を贈るのが習わしとなっていったものが、現在のお中元の起源である。

 今でも、お中元は7月15日までに贈るものとされるのは、この由来からきている。


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今日の面白雑学(7月16日)

梅干の効用

 昔は、田舎ならどこのお母さん達も、大きな梅干を作り、浸け終わったらザルに並べて干して美味しく仕上げたものです。

 昔の人は、特別な科学的な知恵もなかったけれど、経験により梅干が体によいことを知っていたのです。

 健康のためにはアルカリ性にしなくてはいけないのに、日本人の主食のご飯は体内で酸性になってしまう食品です。

 こんなとき、梅干はこれを中和してアルカリ性に戻してくれる作用があります。普通の大きさの梅干ひとつには、茶碗2杯分のご飯を中和してくれる力があるとされます。また、梅干しと一緒に漬けられる赤じそには、解毒作用もあるとのことです。


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今日の面白雑学(7月17日)

へちまの名の由来

 最近、自然志向ということか、へちま化粧水や体を洗うへちまたわしが見直されているという。へちまは漢字で書くと「糸瓜」。江戸時代初期に中国から渡ってきたものだが、当初は字の通りに「いとうり」と呼んでいた。

 それがへちまになったのは、「いとうり」がつまって発音されて「とうり」になり、やがて「と」が、いろはにほへとで「へ」と「ち」の間にあることから、「へちま」となったもの。江戸庶民は、なかなかのユーモアセンスをもっていたようだ。


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今日の面白雑学(7月18日)

初の光化学スモッグはアメリカ

 1970年7月18日、東京都杉並区のグラウンドで高校生が次々と倒れ、東京都公害研究所は全国で初めての光化学スモッグ公害と推定した。

 光化学スモッグ(Photochemical Smog)は、1940年代初期に、米国ロサンゼルスにおいて最初に認められた現象である。

 このように光化学スモッグは、自動車や工場から出される窒素酸化物や炭化水素成分などが、大気中で光化学反応を起こし、オキシダントなどを生成して大気を汚染するものだ。

 オキシダントは目やのどを刺激し、ときにはしびれや呼吸困難などの重症被害を引起すこともある。


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今日の面白雑学(7月19日)

アンカーという名の由来

 水泳や陸上競技のリレーで、一番最後に出る人をアンカーという。

 もともと、アンカーという言葉は船の錨(いかり)のことである。リレーとは何の関係もない言葉なのだが、これはもともと綱引き競技で使われていた言葉なのだ。

 綱の最後尾に一番体の重い人を配して、錨のように綱をしっかりとつなぎ止めるという意味で、アンカーという呼び名が使われていた。

 これが転じてリレーなどで一番最後に泳いだり、走ったりする人のことをアンカーと呼ぶようになったのだという。


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今日の面白雑学(7月20日)

人類にとっては偉大な跳躍だ

 1969年7月20日、アメリカの国家プロジェクトであったアポロ計画において、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功しました。この日、アポロ11号から切り離された月着陸船の二人の乗組員、ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリンが月面の静かの海に着陸したのです。

 アポロ11号は、7月16日、13時32分、アームストロング、オルドリン、コリンズの3人の宇宙飛行士たちを乗せ、フロリダ州ケネディ宇宙センターから打ち上げられました。

 月周回軌道到着後、コリンズは指令船コロンビア号に残って月を周回し、アームストロングとオルドリンの乗った、月着陸船イーグルが月面へと降下していったのでした。降下時にコンピュータが情報処理能力を超えてしまい困難も発生したのですが、アームストロングの手動操作で着陸に成功しました。着陸した時、残りの燃料はわずか30秒分しかなかったという綱渡りの着陸でした。着陸したのは、「静かの海」と呼ばれる地点でした。

 着陸した月面からの最初のメッセージは、アームストロング船長からの「Houston, Tranquility Base here. The "Eagle" has landed "(ヒューストン、こちら静かの海基地。イーグルは舞い降りた)」というものでした。イーグル(鷹)は、アメリカを象徴する「偉大な鳥」なのです。

 着陸から6時間半後、遂にアームストロングが月面に降り立ちました。全世界の人類は、この瞬間をテレビの生放送で見守ったのです。アームストロングは第一声は発しました。

「That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind. (これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとって大きな跳躍だ)」

 という言葉を述べた。続いてオルドリンも月面に降り、二人は月面を掘削してコア・サンプルを採ったり写真撮影を行なったり岩石を採集したりして約2時間半の間滞在した。

カーネル人形はなぜ白スーツ?

 マクドナルドの登場で、日本にもファーストフード時代が訪れた。

 その一つ、ケンタッキー・フライドチキンの店先には、創業者カーネル・サンダースをモデルにした等身大人形が置かれている。

 あの人形の白スーツ姿には、こんなわけがあった。ある冬の日、急にテレビ出演を頼まれたカーネルおじさんが着ていく服を探したら、冬物はみんなシワシワだった。

 そこで夏用の白スーツを着て出演したところ、これが大うけだった。以来白スーツが彼のトレードマークになったのだ。ちなみに人形の眼鏡は本物の老眼鏡とか。


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今日の面白雑学(7月21日)

蚊に刺されるとかゆくなる

 蚊の羽音が聞こえると、暑い夜がもっと寝苦しくなってしまう。人間の血を吸うのはメスの蚊だけらしい。オスは植物の汁しか吸わないのだそうだ。

 蚊はフンといってストローのようなものを人間の皮膚に差し込んで血を吸うのだが、刺されるとかゆくなるのは蚊の唾液のせい。血には凝固作用があるので、そのままではゆっくり吸うこともできないし、フンが抜けなくなったら一大事である。

 そこで凝固作用を妨げる物質を含んだ唾液を流し込みながら血を吸うのだ。この唾液が人間にかゆさを感じさせるというわけである。


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今日の面白雑学(7月22日)

下駄の始めは一本歯

 「二の字、二の字の下駄の跡」と川柳にも詠まれたとおり、下駄の歯は二本というのが常識である。

 しかしその昔、下駄の歯は一本しかなかったという。下駄は平安時代、山で修行する僧侶や修験者たちが履いたのが始まりなのだが、山道を登り降りするには一本歯の方が滑りにくいのだ。

 京の五条の橋の欄干をひらりひらりと飛び回った牛若丸の高下駄も一本歯だったはず。

 後に庶民がはくようになって、平地を歩くために二本歯に改良され、江戸時代には今風の下駄が全盛となった。


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今日の面白雑学(7月23日)

手紙の語源

 「手紙」という言葉の語源は、飛鳥時代のころに、書くことや筆跡を「テ」といったことと、書かれるものである紙 (かみ)が一緒となり、いつとはなく「てがみ」といい始めたのではないかといわれている。

 切手の制度が始まったのは19世紀ころのイギリスである。

 郵便料金が受取人払いだったために、封筒の表に暗号で用件を書いてやり取りし、料金を払わずに郵便人に返すことが頻発した。

 これを防ぐために郵便料金先払いの切手制度が工夫されたのだ。


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今日の面白雑学(7月24日)

聖火が途中で消えたら?

 2020年7月24日に第二回目となる東京オリンピックが開幕される。開会式のハイライトである聖火は、リレーによって運ばれるが、一人の聖火ランナーが走る時間は約10分だそうである。

 この聖火なのだが、もし途中で転んだりして聖火の火が消えてしまったらたらどうなるのだろうか。

 実は、聖火の火をランプに保管して伴走する人がいるので、万が一消えた場合でも大丈夫なのです。

 開催国では、オリンピック終了までランプに厳重に保管しているというから、聖火は安全に開催地まで運ばれ、会期中も選手の活躍を見守ることができるというわけなので、ということでご安心ください。


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今日の面白雑学(7月25日)

オリンピックで綱引き?

 綱引きといえば運動会にはかかせない種目だが、以前はれっきとしたオリンピックの競技種目だった。

 1890年の第2回パリ大会から、1920年の第7回アントワープ大会まで、正式種目として採用されていた。

 ところが、特製のスパイクを履いたりするチームが出てくるなど、ルールの確立が難しく、正式種目からはずされてしまったのだ。

 日本の各地には、綱引きによって豊作を占うお祭りもある。


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今日の面白雑学(7月26日)

バタフライはオリンピック起源

 クロール、平泳ぎくらいはなんとかなってもバタフライとなると、体力的にちょっと歯が立たないという人も多いはずだ。

 この泳法、実は 1928年のアムステルダム五輪の平泳ぎ競技から生まれたのだった。

 手足が左右対称の動きをすればよいという当時の規定範囲の中で、少しでも速くと考えたドイツのラーデマッヒェル選手が始めたのがこの泳法だった。

 バタフライ泳法をまねする選手が多くなって、1956年のメルボルン五輪から新たにバタフライが新種目として追加された。


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今日の面白雑学(7月27日)

参加することに意義がある

 「オリンピックは勝つことではなく、参加することに意義がある」という言葉は、近代オリンピックの父・クーベルタン男爵の言葉として知られている。

 しかし、この言葉を最初に使ったのはイギリスのペンシルバニー主教だという。

 第4回ロンドン大会で、勝負にこだわる傾向を嘆き、礼拝に集まった選手たちに語った言葉だった。

 これを聞いたクーベルタン男爵が感激し、オリンピック精神の理想として伝えたのだ。

 第10回ロサンゼルス大会で主要競技場に掲示されたことで、この言葉は世界中に広まった。


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今日の面白雑学(7月28日)

五輪金メダルの製造はどこで

 オリンピックで、栄冠を勝ち取った選手の胸に燦然と輝く金メダルは、どこで作られているのだろうか。

 オリンピック発祥の地ギリシャなのかな。実は、正解は開催国の公的な機関である。1964年の東京オリンピックのときは、大蔵省の造幣局で作られたそうだ。2020年の第二回東京オリンピックでも同じだろうか。

 開催国で作るといっても、勝手に作っているわけではなく、オリンピック憲章によって定められた「直径60ミリ、厚さ3ミリで純度92・5パーセント以上の銀を土台に、6グラム以上の金メッキを施す」という基準に従って製造されている。


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今日の面白雑学(7月29日)

バスケットボールの起源

 バスケットボールはバレーボールと同じく、アメリカのYMCAで始まったスポーツである。

 このスポーツは、ネイスミス博士によって、 1891年に考案された。当時は体育館の2階の手すりに果物などの収穫に使うバスケットを下げ、そこにボールを投げ込んで得点を競っていた。

 今のように底が開いたネットではないから、ボールがかごに入るたびに、はしごをかけてボールを取り出していたそうだから、ゲームを楽しむのも大変だったに違いない。


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今日の面白雑学(7月30日)

江戸時代、人は左側通行だった

 現代は、車は左、人は右と決まっている。しかし江戸時代の武士は左側を歩いていたという。

 武士は、いつでも刀を抜けるように体の左側に刀を差していたので、道の右側を歩くと、他の武士とすれ違うときに刀と刀が触れる可能性があるからだ。

 刀は武士の魂であり、それに触れることはタブーであり、万が一触れると、果たし合いになっても文句は言えない。このために武士は常に道の左側を歩くようにしていたのだという。


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今日の面白雑学(7月31日)

マラソン競技の由来

 マラソンのルーツは遥か昔、紀元前490年のギリシャである。

 ペルシャ戦争で苦戦していたギリシャ軍はアテネ市民の支援によって、マラトンの丘の戦いでペルシャ軍を打ち破ることができた。

 この勝利を伝えるために、伝令は昼夜を走り続けてアテネに着き、市民に勝利を伝えたのだが、そこで力つきて死んでしまったという。

 この故事にちなんで、マラソン競技が行われるようになったのだ。すでにお分かりの通り、マラソンという名は、勝利の戦場となったマラトンの丘からつけられたものなのである。