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〔今日の雑学:8月〕


 一年中のどんな日にも、長い歴史の中で大事件が起こったり、歴史に名を残す偉大な人物が生まれたり、偉大な発見や発明がなされたりしています。

 あるいは、後世の人たちが永遠に楽しめるような魅惑的な音楽や芸術作品が登場したりするものです。

 歴史に多大な影響を与えるような出来事があれば、それに伴い様々な逸話が誕生したりもします。このコーナーでは、その日に関連するそんな逸話のようなものを掲載しています。それなりに示唆するものがありますから、楽しんで下されば嬉しいです。



 毎月のカレンダーに載っているような大事な記念日などは、だれでも大体の見当がつくものです。

 とはいえ、8月11日が「山の日」であることは、現状ではそれほど認知されていません。また、「山の日」は2020年に限っては、東京オリンピックの閉会式の翌日である8月10日に変更となっていました。

 現実には、コロナ感染症の関係で、オリンピックが1年後に変更となってしまいましたが、「山の日」は変更後の8月10日のままとなっています。

 このような国民の祝日などに限らず、たとえば、あなたと同じ誕生日にはどんな有名人がいて、どんな逸話を残してくれたかなども興味が湧きますね。そこで、8月の毎日のことに関連する逸話などを調べてみました。


1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
 
1日 ・8月1日は八朔(はっさく)
2日 ・トラック競技はなぜ左回りか
3日 ・ハサミの歴史
4日 ・昔の箸はピンセット形
5日 ・日本のタクシーの歴史
6日 ・コカ・コーラの故郷はアトランタ
7日 ・暑さはこれから
8日 ・瓦の歴史
9日 ・「野球」の名付け親は?
10日 ・帽子を食べる?
 
11日 ・絹ごし豆腐って本当なのかな
12日 ・ストライキとストライクは同じ言葉
13日 ・お盆の由来
14日 ・特許権は質入れもできる
15日 ・悲惨な戦争
16日 ・ネクタイは防寒具だった
17日 ・かき氷を食べると、なぜ頭痛がするのか
18日 ・紅茶も緑茶も元は同じ
19日 ・バイクの元は三輪車
20日 ・交通信号の歴史
 
21日 ・初の博覧会は黒字
22日 ・日本初の女優は?
23日 ・トンネルの入口・出口
24日 ・ドーバーが呼んでいる
25日 ・メンマという言葉
26日 ・お札の肖像画はどうして?
27日 ・太平洋と大西洋
28日 ・失敗した初CM
29日 ・全国共通チャンネルにできないわけ
30日 ・73年間も日記をつけた人
31日 ・日本の野菜は大きい

おもしろ雑学

今月にはこんな面白いお話があるよ!

今日の面白雑学(8月1日)

8月1日は八朔(はっさく)

 旧暦8月1日は、八月朔日(ついたち)を略して八朔(はっさく)と呼ばれる。

 現代っ子には「八朔」といえば柑橘類の名前になるが、昔は、八朔は立春から数えた日数で、「二百十日」「二百二十日」と並んで台風の襲来が多い三大厄日とされ、収穫を前にした農家では豊作祈願の行事が行われていた。

 また1590(天正18)年の八朔に徳川家康が初めて江戸城入りしたことから、江戸時代には記念日として武家から町民まで、祝いの行事を行っていた。

 現代では八朔も旧暦より現行暦でいわれることも多く、かつてのような行事もほとんど行われなくなった。


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今日の面白雑学(8月2日)

トラック競技はなぜ左回りか

 オリンピックなどの公式試合から小学校の運動会まで、陸上トラック競技は、すべて左回りを採用している。各地の夏祭りなどで踊られる民謡踊りなどもほとんど例外なく左回りで踊られる。

 その理由として、人間の心臓が左にあるので、重心が左にかかりやすいからとか、利き足が左足の人が多いので、スタートしやすいから、といわれているが、科学的根拠はないようだ。

 また、古代の祭礼の踊りも左回りが多く、人間は本能的に左回りが好きという説もある。

 しかし1896年の第1回アテネ・オリンピックでは右回りだった。公式試合でも右、左が混在していたが、1913年に国際陸上連盟が発足してルールが統一され、以後はすべて左回りとなった。


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今日の面白雑学(8月3日)

ハサミの歴史

 ハサミが世界で最初に発明されたのは、約3,500年前の青銅器時代だといわれている。

 2枚の刃をU字型のバネでつないだ握りバサミのような構造は、今日のものとほとんど変わらず、イギリスから中国にいたるまで、各地で同じようなハサミが発掘されているのだ。

 ところで、日本に西洋式のハサミが入ったのは鉄砲と同じく種子島からだといわれている。

 江戸時代になって、髪結いや植木屋、生け花、呉服店などでハサミが広く使われるようになり、江戸後期には播州や越後、美濃、越前などに専業のハサミ鍛冶が生まれ、庶民たちのあいだでも普通に使われるようになった。


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今日の面白雑学(8月4日)

昔の箸はピンセット形

 古事記のヤマタノオロチ退治の話は、スサノオノミコトが川に箸が流れているのを見て上流に人が住んでいることを知ったことから始まる。

 日本人が古くから箸を使っていたことが分かるが、その時代の箸は、今のような二本箸ではなく、一本の竹を真ん中から折ったピンセットのような形をしていた。

 二本箸は中国から伝わったもので、鎌倉時代に定着したといわれる。

 箸にはそれを使う神や人間の魂が宿るとされたことから、一度使ったものを他人が使わない習慣が生まれ、それが今日の割り箸となったようだ。


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今日の面白雑学(8月5日)

日本のタクシーの歴史

 日本初に営業を開始したタクシー会社は、東京麹町の数寄屋橋タクシー自動車で、その開始した日が、1912年8月5日のことであった。

 当初のタクシーは、「流し」営業ではなく、電話で呼び出して迎えに来てもらった。利用者は外国人かお金持ちで、高額なチップを出したので、運転手の月給も大卒以上だったという。

 流しのタクシーという営業形態が生まれたのは、1921(大正10)年のことであり、大正13年には、大阪で市内料金一円均一という「円タク」が登場し、徐々に東京にも広がった。

 円タクと同じ年に、東京市営乗合自動車が運行を始め、バスガールが誕生している。


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今日の面白雑学(8月6日)

コカ・コーラの故郷はアトランタ

 世界中で飲まれているコカ・コーラの故郷は、1996年にオリンピックが行われたアトランタである。

 コカ・コーラは1886年、アトランタの薬剤師ジョン・ペンバートンが発明し、1890年代には世界中に広がった。普通、アメリカ人はコカ・コーラを「コーク」と呼んでいる。

 コカ・コーラといえば思い出すのが、あの独特のビンの形だ。1916年に、当時女性の間で流行っていた腰のラインをきれいに見せるホッブルスカートをヒントにデザインされたものだ。

 ビン工場の工員であったルート氏の提案を入れてボトルを新しくしたところ、これが受けてコカ・コーラは急激に売り上げを伸ばしたという。


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今日の面白雑学(8月7日)

暑さはこれから

 立秋ともなると、暦の上では秋が始まり、暑中見舞いも残暑見舞いとなる。

 しかし、一年の最高気温は立秋を過ぎてからの残暑の時期に観測されることが多く、夏はまだまだ盛りである。

 一日の最高気温が30度を越す日を真夏日、最低気温が25度を越す夜を熱帯夜というが、ふつう天気予報などで使われる気温は、地表から1.2~1.5メートル付近で計った温度である。

 日中のカンカン照りの時間には、地表近くの温度はもっと高くなり、アスファルトの路面では気温より10度以上高くなるといわれる。

 その夏の暑さの目安となる真夏日と熱帯夜、さて地球温暖化が進んだこれからの夏は、これらは何日くらいになるのだろうか。不安である。


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今日の面白雑学(8月8日)

瓦の歴史

 今日、8月8日は、「瓦の日」「屋根の日」である。

 現在では、いわゆる甍(いらか)の波も、もはや過去の風景となりつつあるが、「かわら」は元々サンスクリット語で、インドから中国を経て、仏教とともに日本に入ったものといわれている。

 当初は寺院に、やがて宮殿などにも用いられるようになり、戦国時代には城郭の屋根も瓦で葺かれるようになった。

 徳川時代には一般家屋の瓦葺きは禁止されたが、1720年ころには、大火になりやすい江戸の町の防火対策として瓦葺きが奨励されて普及した。

 明治以降には西洋建築とともに洋風瓦が登場し、現在では日本の瓦は世界でもっとも種類やデザインが豊富だといわれている。


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今日の面白雑学(8月9日)

「野球」の名付け親は?

 野球は、イギリスのクリケットなどにさまざまな球戯の要素が加わって、アメリカで発展したスポーツだといわれる。

 日本に伝わったのは、1873(明治6)年のことである。東京の開成学校(現:東大)に招かれたアメリカ人教師H・ウィルソンが学生に教えたのが始まりだった。明治20年には一高に野球部ができた。

 ベースボールを野球と訳したのは、正岡子規とも、一高の選手だった中馬庚ともいわれている。

 明治36年に早慶戦、大正4年に甲子園全国中等学校野球優勝大会が始まる。プロ野球はこれよりはるか後の昭和9年、大日本野球倶楽部(現:巨人軍)の結成を機に始まった。


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今日の面白雑学(8月10日)

帽子を食べる?

 今日、8月10日はは「帽子の日」である。英語には帽子(hat)を使った口語表現が多いといわれている。

 帽子の下にしまっておけ(keep this under the hat)と言うと、「内密に」という意味になるし、「hats off」は、日本語の脱帽と同じ意味になる。

 では「Eating one's hat」は、「帽子を食べる?」という意味なんだろうか。でも、そんなことあるわけない。そう、これは「絶対にあり得ない」という強調表現なのだ。

 サッカーでは、ひとりが一試合に3ゴールすることをハットトリック(hat trick)というが、これは、クリケットで3打者を連続アウトにした投手に新しい帽子を贈る習慣があったことに由来する。


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今日の面白雑学(8月11日)

絹ごし豆腐って本当なのかな

 冷や奴は夏の定番メニューだが、豆腐には「絹ごし豆腐」と「木綿ごし豆腐」という2種類がある。

 木綿ごしの場合は、小穴を開けた型に布を敷いて、にがりを入れた豆乳を流し、上から重石をのせて水分を出して固めて作られる。

 それで木綿ごしと呼ばれるのだが、絹ごしは布を使わず、流し固めるだけの豆腐をそう呼んでいる。絹ごしは木綿ごしの豆腐に比べて舌触りが滑らかなことから、木綿に対して絹と呼ばれるようになったのだ。

 絹ごしは木綿ごしより歴史が浅く、戦時下の統制でにがりがなくなり、すまし粉(凝固剤)を使うようになってからだという。にがりでは固まるのが速すぎて、絹ごしを作るのが難しいそうだ。


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今日の面白雑学(8月12日)

ストライキとストライクは同じ言葉

 米大リーグといえば、昔なら野茂投手が思い浮かんだ。彼の活躍で、アメリカのプロ野球が日本人にもぐっと身近になったからだ。一時期の長期ストで遠のいた客足も、野茂の登場によって再び球場に呼び戻すことができたという逸話も残っている。

 ちなみに労働争議のストライキも野球のストライクも、英語で書けば同じ「strike」だ。打つ、攻撃するという意味のstrikeが、経営陣を責めると「ストライキ」となり、バッターを攻めると「ストライク」になるというわけである。

 日本で初の組織的ストが起きたのは明治19年のことだが、同じ言葉が違った発音で定着した理由は定かではない。


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今日の面白雑学(8月13日)

お盆の由来

 今日、8月13日は、旧暦のお盆である。全国的には旧暦でお盆の行事を行うところが多いが、盆は、もとは「非常な苦しみ」という意味の梵語「盂蘭盆会(うらぼんえ)」を略した言葉だ。

 古代インドから中国を経て、飛鳥時代に日本に伝わったと言われているが、盆に先祖の霊がこの世に帰ってくるという考え方は日本独特のもので、日本の古代信仰や農耕行事と仏教が結びついたものだといわれている。

 迎え火や送り火で、祖先が行き来する道筋を照らし、お盆の間は、供物や盆踊りなどで祖先の霊を慰める習わしがある。こうしたお盆の行事から、京都の「大文字焼き」や徳島の「阿波踊り」が発展した。


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今日の面白雑学(8月14日)

特許権は質入れもできる

 江戸幕府は、社会秩序を乱すとして発明や工夫を抑制していたが、文明開化の明治になると政府は積極的に奨励するようになり、明治18年4月に専売特許条例を制定した。

 この条例に基づく最初の許可が同年の今日、8月14日に認定された。

 日本の特許第1号は堀田瑞松が出願していた「堀田錆止塗料及其塗法」というもので、鉄、銅製品の錆止め塗料と塗法で、漆や柿渋、アルコールに鉄粉などを合成したものであった。

 第2号「生茶葉器械」、第3号「焙茶器械」など、初日は第7号までが発表された。尚、不思議な話だが、現在の特許法では特許権は譲渡したり、質入れすることもできるそうだ。夏休みには、ひとつ発明でもしてみたらいかがだろうか。


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今日の面白雑学(8月15日)

悲惨な戦争

 今日、8月15日は「終戦記念日」である。1937(昭和12)年の日中戦争の始まりから1945(昭和20)年の太平洋戦争の終わりまでに、戦争の犠牲となった人々は兵士を含めて330万人にものぼる。

 全国で111カ所の都市が空襲や艦砲射撃のために被害をうけ、焼失、破壊された家屋は、強制疎開も含めると310万戸にも及んだ。巨大な国、アメリカと戦った太平洋戦争は、罹災者880万人を数えた悲惨な戦争だった。

 戦争を直接体験しない世代が人口の大半を占めるようになったが、こうした数字だけでは表すことができない多くの人々の犠牲や苦しみを語り継ぎ、二度と悲惨な戦争を引き起こすことのないように祈りたい。


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今日の面白雑学(8月16日)

ネクタイは防寒具だった

 夏休みだけはネクタイ、背広から開放されて、お父さんもほっと一息するものだ。

 いまや日本のサラリーマンの制服ともなった、「背広・ネクタイ姿」が日本に入ったのは明治のころのことである。当初は背広一着が年収の半分もしたというから、一般庶民的サラリーマンには手が出なかったことだろう。

 戦後になって、一般に定着したが、見た目が素敵でも、やはり日本の夏にネクタイは暑苦しい。

 それもそのはず、ネクタイの元祖は300年前の英国軍隊が着用したスカーフで、防寒用に考案されたものだったからである。

 これがフランスに渡ってボヘミアンタイとなった。19 世紀になると、宮廷使用人の服装だった背広が一般男性の礼服となり、背広の襟元に合わせて、タイも現在のような紐状になってきたのだという。


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今日の面白雑学(8月17日)

かき氷を食べると、なぜ頭痛がするのか

 かき氷を食べると、こめかみや額がきーんと痛くなることを経験した人は多いだろう。

 これは、氷によって口の中が急激に冷やされると、脳が極端な刺激を痛みとして感じてしまうために起こるものらしい。

 実際に刺激を受けた口ではなく、額やこめかみに痛みを感じるのは、関連痛といって神経が混乱を引き起こすためだ。

 ゆっくり食べれば頭痛は防げるが、我慢しながらかき込むのも、夏ならではの楽しみなのかも知れない。ちなみに、夏の氷は平安時代は貴族の贅沢な食べ物だった。

 冬の氷を氷室に保存し、夏に味わう超贅沢品だったのだ。夏に氷が、一般人に食べられるようになったのは明治時代からのことで、函館の氷が東京銀座で売られ、大人気になったという。


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今日の面白雑学(8月18日)

紅茶も緑茶も元は同じ

 ちょっと前はウーロン茶で、最近はハーブティーが流行りだとか。

 お茶にもブームがあり、コンビニの冷蔵庫や自動販売機には、季節が変わるたびに新しい缶入りのお茶が登場する。

 ところで紅茶と緑茶、そして中国茶は、すべて同じ茶の葉からできているのをご存知だろうか。色や味がまったく違うのは、葉を摘んだあとの処理方法が違うためなのだ。

 葉に含まれる酵素の発酵の仕方によって、味や色が違ってくるのである。酵素を全発酵させるのが紅茶で、発酵させるために葉の色が黒くなる。

 日本茶はまったく発酵させないので、葉の緑色が残る。その中間が半発酵させる中国茶というわけである。


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今日の面白雑学(8月19日)

バイクの元は三輪車

 1884年、イギリス人のエドワード・バトラーが三輪車にエンジンを付けて走らせたのが、オートバイの始まりだという。そして、翌年にはドイツのダイムラーによって初の二輪オートバイが製造された。

 日本では1909(明治42)年に、島津楢蔵が自転車に手作りエンジンを付けたのが第一号である。

 本格的な生産は昭和10年に軍事用として採用されたのがきっかけとなった。

 洋の東西を問わず若者を魅了するバイクだが、アメリカでは乗り方を間違えれば、「事故を引き起こすのに十分なスピードはでるが、事故を出し抜くほどのスピードはない」と警告される乗り物であることもお忘れなく。


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今日の面白雑学(8月20日)

交通信号の歴史

 交通信号が世界で最初に設置されたのは、1868年のことで、イギリスのロンドン国会議事堂近くに立てられた。

 これは、当時のイギリスの下院議員が交通量の激しい交差点を通行するときの安全確保のためのもので、この交通信号は、ガスを光源とした赤と青の点滅式信号だったという。

 現在のような「赤・青・黄」式の自動式信号が世界で最初に設置されたのは、アメリカは自動車産業の都、デトロイトで、1920年代初頭のことだ。

 日本での最初の信号機は、1919年(大正8年)に上野広小路に設置されたが、これは「進め」「止まれ」の文字が現れる手動信号式のものだった。

 1930年(昭和5年)の3月になると、電気式信号機が輸入され、日比谷交差点に設置される。そして翌1931年の今日、8月20日には、現在のような3色式の自動信号機が、銀座尾張町や京橋交差点など34箇所に設置された。


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今日の面白雑学(8月21日)

初の博覧会は黒字

 都市博も中止となり、最近は博覧会が話題になることも少ないが、日本初の本格的な博覧会が開かれたのは明治10年の今日、8月21日のことである。

 大久保利通の提案によって開かれた内国勧業博覧会で、会場の上野公園には本館、美術館、農業館、機械館など5つのパビリオンが作られ、2万点が出展された。

 大時計タワーや、高さ10メートルの風車が話題を呼び、11月30日までの会期中の入場者は45万5千人、収益は2万円を超えて大成功をおさめた。

 ちなみに「博覧会」という言葉が初めて使われたのは慶応2年だ。その年のパリ万国博覧会を報じた報知新聞の訳語が最初という。


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今日の面白雑学(8月22日)

日本初の女優は?

 1692(寛永6)年のこと、江戸幕府が風紀上の理由で女歌舞伎などを禁止した。

 時代が経ち、明治23年の今日、8月22日には、訓令によって女性も舞台に立てるようになった。法律的には解除されたが、識者の反対も強く、福沢諭吉も女優尚早論者だったといわれる。

 ちなみに日本で女優第1号といわれるのが、俳優で興行師の川上音二郎の妻・貞奴(さだやっこ)である。音次郎とアメリカへ渡って興行し、日本の女優として名を残した貞奴だが、実は、最初上演した芝居は男優だけだったとか。

 「アメリカにはそんなものを見る客はいない」と言われて、慌てて貞奴を出演させたことが、女優誕生のきっかけとなった。


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今日の面白雑学(8月23日)

トンネルの入口・出口

 1975年の8月23日、日本最長の自動車トンネル、中央自動車道恵那山トンネルが開通したが、トンネルには入口・出口の区別はあるのだらおうか。

 一般人にとっては、トンネルに電車や自動車が入った方が入口で、出てきた方が出口というのが普通の考え方だ。

 しかし、トンネル建設の工事や保線関係の仕事をする人たちには、トンネルの入口と出口にはれっきとした区別がある。

 そのトンネルのある鉄道や道路の路線の起点側が入口、終点側が出口と呼ばれるのである。

 ということは、不思議にも、上り電車は、出口から入って、入口から出てくるということになる。


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今日の面白雑学(8月24日)

ドーバーが呼んでいる

 そこに山があるから登り、海峡があれば泳いで渡ってみたいのが人間というものか。

 1875年の今日、ドーバー海峡の荒波に挑戦したウェッブ船長が、初めて水泳で海峡横断に成功した。

 ウェッブ船長は、クラゲや荒波と闘う合間に、スープやブランデーを飲み、生肉も食べたとか。

 1926年には、アメリカ人女性ガートルード・エダールが女性として初の横断に成功する。ウェッブ船長の記録21時間45分を上回る14時間31分で泳ぎきった。

 1950年8月5日には、その記録をさらに上回る13時間28分で、米女性フローレンス・チャドウィックが横断している。


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今日の面白雑学(8月25日)

メンマという言葉

 手軽さが受けたインスタントラーメンだが、具をのせればもっとおいしくなる。そこで登場するのが、メンマ。

 このメンマという言葉、本場中国にはない言葉で、ラーメンにのせる食べ方も、名前も、日本で生まれたものなんです。

 大正時代に南京町に出入りした日本人が、華僑の人たちが食べていた干筍(麻竹)と豚肉の煮物をラーメンにのせて食べたところ、実においしかった。

 それからラーメンの具として広まったのだ。最初はシナチクといっていた麻竹(まちく)をメンマと呼んだのは、老舗中華材料店の社長・村松氏だという。麺にのせる麻竹だからメンマと名付けたのだという。


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今日の面白雑学(8月26日)

お札の肖像画はどうして?

 廃止となった百円紙幣に印刷されていた肖像画は板垣退助だが、お札に肖像画が使われるのは、偽札防止のためである。

 肖像画は髭や表情を描くために細密な線を必要とするので、複製しにくくなるからだ。

 お札の肖像画は写真を元に描かれ、五千円札の新渡戸稲造は、結婚式に出席したときの写真を元にしたので白ネクタイ姿、千円札の夏目漱石は恩師の喪中に撮った写真だったので黒ネクタイ姿の肖像画になったそうだ。

 他にも偽造を防ぐさまざまな工夫がされ、印刷された部分が盛り上がる特殊な印刷技術や、専用の紙が使われているので、専門家は手触りだけで判別できるそうである。


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今日の面白雑学(8月27日)

太平洋と大西洋

 海には土用波が立ち、そろそろ海水浴シーズンも終わりだ。逝く夏を惜しみながら、問題を一つ出してみよう。

 太平洋は「太」で、大西洋は「大」、どちらも読み方はタイなのに、どうして字が違うのか。

 その答えは、まず太平洋は、ポルトガルのマゼランが初めて横断したときに、波が静かで穏やかだったことから「El Mar Pacifico」(平穏な海)と名付けられ、これを訳して太平洋になった。

 大西洋は、中国では西洋のことを泰西といい、西洋の海で泰西洋だった。それが、泰には大きいという意味もあることから、いつしか大西洋という字が使われるようになった、というわけ。


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今日の面白雑学(8月28日)

失敗した初CM

 昭和28年の今日、8月28日に放送された本邦初のテレビコマーシャルのスポンサーは服部時計店(精工舎)だった。

 腕時計の中身を見せながら、時報を伝えるというものだったが、テレビ局の手違いでフィルムを裏返しにかけてしまったために、3秒ほどで終わってしまったのだという。

 ちなみに精工舎が国産初の腕時計を発表したのが、昭和2年のことだったそうだ。

 まもなく不況の時代に入ったために、激しい乱売合戦が行われるようになってしまった。1個1円以下のものまで出現したとかしないとか。しかしこのお陰で、一般庶民も腕時計をするようになったという。


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今日の面白雑学(8月29日)

全国共通チャンネルにできないわけ

 旅行先でけっこう困るのが、テレビのチャンネル選びだ。NHKは何チャン?なんて探した経験をもつ人も多いはず。

 いっそ全国共通のチャンネルにしてしまえばいいのに、と思うが、これが出来るのは衛星放送だけらしい。

 地上波の場合、チャンネルは周波数によって割り当てられるのだが、電波の届く範囲が半径100kmしかないので、地域ごとに中継局が必要になる。

 もし隣接した局同士の周波数が同じだと、両方を受信できる地域では、画像が二重になったりノイズで乱れたりしてしまうのだ。

 それを防止するために、周波数を変えてあるので、チャンネルも地域ごとに違うというわけなのである。


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今日の面白雑学(8月30日)

73年間も日記をつけた人

 8月末も8月30日ともなると、学校の夏休みもあと2日だけになる。真っ黒に日焼けしたのはいいけれど、宿題の日記帳は真っ白で大慌て、なんて思い出も大人になれば懐かしい。そんなことあったよなあ、なんて想い出してしまう。

 三日坊主になりがちな日記を、文政から慶応末年までのなんと73年間もつけたというとんでもなく偉い人がいる。その名は藤岡屋由蔵という人だ。

 紫式部日記をはじめ、数々のすぐれた日記が残されているが、明治12年には、翌年の日付や記入欄を印刷した日記帳が初めて売り出され、庶民にも日記をつける習慣が広まった。

 明治末年になると学校では、生徒の作文力を育てるために日記が奨励されたというから、夏休みの日記の宿題はこの辺りから始まったのかもしれない。


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今日の面白雑学(8月31日)

日本の野菜は大きい

 以前には、現代の食卓に並ぶ野菜は、ほとんどが外国から入ってきたもので、在来のものといえばワサビと大根くらいだったという。

 カボチャは、カンボジアから来たという意味の名前だが、もとは小さな瓜である。

 中国から来たネギも、だんだん深く植えられるようになって白い部分が長くなったというように、日本に入ってきた野菜は、原産地のものよりはるかに大きく改良されてきた。

 中国山東省から来た山東白菜は、現地ではいくつか束にして売るような大きさだったのに、日本では一つがやっと持てるほどの大きさである。まるで化け物だと中国人が驚いたという話もある。



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