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〔今日の雑学:9月〕



 一年中のどんな日にも、長い歴史の中で大事件が起こったり、歴史に名を残す偉大な人物が生まれたり、偉大な発見や発明がなされたりしています。

 あるいは、後世の人たちが永遠に楽しめるような魅惑的な音楽や芸術作品が登場したりするものです。

 歴史に多大な影響を与えるような出来事があれば、それに伴い様々な逸話が誕生したりもします。このコーナーでは、その日に関連するそんな逸話のようなものを掲載しています。それなりに示唆するものがありますから、楽しんで下されば嬉しいです。



 毎月のカレンダーに載っているような大事な記念日などは、だれでも大体の見当がつくものです。

 とはいえ、9月第3月曜日が「敬老の日」であることは、現状ではそれほど認知されていません。一方、9月22日頃に「秋分の日」があることは、昔から変わっていないためか、多くの人々が知っていますね。

 このような国民の祝日などに限らず、たとえば、あなたと同じ誕生日にはどんな有名人がいて、どんな逸話を残してくれたかなども興味が湧きますね。そこで、9月の毎日のことに関連する逸話などを調べてみました。


1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
 
1日 ・徳川家康も鉛筆でお勉強
2日 ・宝くじの歴史
3日 ・キンピラを食べると強くなる
4日 ・櫛は串からできた?
5日 ・石炭は太古の贈り物
6日 ・かぐや姫は元祖箱入り娘
7日 ・待ち合わせ、あなたは何分待てる?
8日 ・詩人の遺書
9日 ・半ドンの由来
10日 ・紀元前にも水洗トイレはあった
 
11日 ・911テロ事件
・二百二十日
12日 ・豚が水先案内人
13日 ・黒い喪服は乃木大将の葬儀から
14日 ・6歳にして留学した天才少女
15日 ・秋の長雨は梅雨並み
16日 ・マッチの歴史
17日 ・世界の空は一つ
18日 ・大根役者
・大根のおいしい食べ方
19日 ・こんな苗字ただしく読めるかな
20日 ・バスの語源
 
21日 ・相撲の吊り屋根に下がる房
22日 ・相撲の花道の由来
23日 ・お彼岸の由来
24日 ・西郷さんの銅像は散歩姿?
25日 ・あなたはジャガイモ派、それとも?
26日 ・魔の26日
27日 ・月見る月はこの月の月
28日 ・ハイジャッカーは空のギャング
29日 ・クリーニングの歴史
30日 ・Tシャツはいいけど、Yシャツはだめ

おもしろ雑学

今月にはこんな面白いお話があるよ!

今日の面白雑学(9月1日)

徳川家康も鉛筆でお勉強

 夏休み中は、海に山にと駆け回っていた子どもたちも、今日、9月1日からはまた鉛筆片手にお勉強となる。

 この鉛筆を日本で初めて使ったのは徳川家康だったといわれている。

 彼が手にしたものは、もちろん外国製の鉛筆だ。国産鉛筆の製造は明治になってからだが、当初は芯が柔らかすぎて使い物にならなかったらしい。

 あるとき鉛筆作りの職人が火鉢から木炭を取り出すのに、うっかり鉛筆で挟んでしまったところ、鉛筆が焼け、燃え残りの芯で字を書いてみると硬くて使いやすいことを発見した。

 以来、日本でも硬質で書きやすい鉛筆ができるようになり、大正期には海外へ輸出されるまでに鉛筆産業が成長した。


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今日の面白雑学(9月2日)

宝くじの歴史

 世界初の国営宝くじは1539年のフランスで発祥した。日本では江戸時代に、神社が修復金を集めるために売り出す「感化富((かんげとみ)」という富クジが流行した。

 明治政府は富くじを禁止するが、無尽の名目で行われることも多く、明治末期には新聞が販促手段として富札を売り始めた。

 1912年には当時植民地であった台湾で、総督府が財政補填のために「彩票」という富くじを販売するが、世論の反対で中止となっている。

 以降30年間、富くじは姿を消すが、第2次大戦末期の1945年、戦費捻出のために発売された「勝札」として復活した。敗戦後の同年10月からは「宝くじ」という名に変わり、今日に至っている。


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今日の面白雑学(9月3日)

キンピラを食べると強くなる

 甘辛く炒め煮にしたキンピラごぼうは、ご飯にも、酒の肴にも喜ばれるお袋の味だ。

 このキンピラという名前は、大江山の鬼退治で有名な坂田金時の子、金平からきたものだという。

 金平は江戸時代の物語や芝居に登場する架空の人物だが、怪力で次々に悪をこらしめる武勇伝に当時の人々は拍手喝采して喜んだ。

 やがて金平は強いもの、丈夫なものの代名詞となり、食べると精がつきそうな料理をキンピラ、丈夫な足袋を金平足袋、勇壮な姿の人形を金平人形と呼ぶなど、金平の名前にあやかったものがたくさん生まれた。


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今日の面白雑学(9月4日)

櫛は串からできた?

 クシの歴史は古く、スカンジナビア半島では一万年前のものと思われる動物の骨でできたクシが発掘されており、ヨーロッパでは中石器時代、中国では殷の時代にすでにクシが使われていたようだ。

 日本では約7000~8000年前の縄文時代末期からはじまるとされ、日本書紀や古事記にもクシに関する記述がある。

 神への供物を刺した串を束ねたものがクシ(櫛)になったともいわれ、クシは神聖なものとして扱われてきた歴史がある。

 クシが折れると縁起が悪いという言い伝えもその名残かもしれない。今のような歯形のクシは奈良時代に中国から伝えられたものが原型となった。


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今日の面白雑学(9月5日)

石炭は太古の贈り物

 誰でも知っているように、石炭は古代の植物が枯れて堆積した層に、地殻変動によって圧力が加えられてできたものである。

 イギリスの石炭の層からは石斧が発見されており、人類ははるか昔から石炭を燃料として使っていたようだ。

 日本では「日本書記」に、天智天皇の時代、668年に越の国から燃える水(石油)と燃える土が献上された記録があるが、燃える土は石油のしみこんだ土ではないかとする説もあり定かではない。

 17世紀には日本各地で石炭が採掘されており、「うに」と呼ばれた亜炭の採掘風景を芭蕉が、「香に匂へうに掘る岡の梅の花」と、歌に詠んでいる。


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今日の面白雑学(9月6日)

かぐや姫は元祖箱入り娘

 今日、9月6日を「妹の日」とした畑田氏の研究によれば、政界や芸能界などで活躍する人には「弟・妹型」が多いとか。

 これに対して長男や一人娘は昔から「総領の甚六」とか「箱入り娘」などといわれて、どうも分が悪い。

 甚六は順禄の転化で、長男であれば少々頼りなくても順番で禄を継ぐことができるという意味なのだ。

 また世間の風にあてないように大事に育てた娘を箱入り娘というのは「竹取物語」からきたもので、かぐや姫を見つけた竹取の翁の「うつくしき事かぎりなし、いとおさなければ、篭(こ)に入れて養う」という言葉が語源になったとか。


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今日の面白雑学(9月7日)

待ち合わせ、あなたは何分待てる?

 吉川英治の代表作は、ご存知『宮本武蔵』である。武蔵といえば厳流島の決闘に遅刻した話が有名だが、もし時計があったら小次郎はもっとイライラしたに違いない。

 待たされるときの一分は、いつもより長く感じるものだが、ちなみに時計は江戸時代中期にはすでに日本に伝わっていた。

 江戸城では時計番が時計を見て時を告げ回り、それをもとに大手門側の太鼓が叩かれ、城下の鐘が城に近い順に鳴らされるというリレー方式で庶民は時を知った。

 風向きによっては聞こえないこともしばしばで、やっぱり頼りになるのはお天道様と腹時計だったとか。


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今日の面白雑学(9月8日)

詩人の遺書

 今日、9月8日が誕生日のダウンタウンの松本人志が書いた『遺書』という本はベストセラーになったが、財産を残す金持ちだけでなく、最近は家族への感謝の言葉を遺書に託す人もいると聞く。

 詩人ハインリッヒ・ハイネの遺書と聞けば、さぞ美しい愛の言葉が綴られていたと思われるかもしれないが、実はこれが正反対なのである。

 彼の死後、妻が再婚した場合に限って全財産を譲るという内容で、その理由は「妻が再婚すれば、僕の死を嘆いてくれる男が少なくとも一人はいることになるから」というものだった。

 妻に対する恨みつらみを皮肉たっぷりに綴った遺書だったという。


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今日の面白雑学(9月9日)

半ドンの由来

 1871(明治4)年の今日、9月9日正午に号砲をならす制令が施行され、正午のドンとして庶民に親しまれてきた。

 今では週休2日で、土曜日が休みになったので死語となってしまったが、かつては土曜日などに学校の授業や仕事が午前中で終わりになることを「半ドン」といっていた。

 「半ドン」は、一日の半分の半と、正午の号砲の音のドンが合わさった言葉といわれるが、半ドンのドンは休日を意味するオランダ語の「ドンタク」からきたという説もある。


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今日の面白雑学(9月10日)

紀元前にも水洗トイレはあった

 今でこそ日本での下水道整備の普及状況は世界のトップレベルとなっているが、20年ほど前までは、欧米に比べて遅れており、総人口普及率は50%程度だったという。

 最近は浄化槽式ではあっても、トイレの水洗化はかなり進んでいるが、この水洗トイレ、なんと紀元前3800年ころにはすでに存在していたというから驚きだ。

 クレタ島のミノス王の宮殿にはトイレの下に溝があり、そこを水が流れていた形跡が発見されている。

 また古代ローマでも家々の中に下水に通じる大理石のトイレが設けられていた。現代のような水洗便器は1775年にイギリスで特許権が認められのが始まりである。


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今日の面白雑学(9月11日)

911テロ事件

 2001年9月11日に発生した「アメリカ同時多発テロ」事件は、人類の歴史の中で永遠に記憶され続けるだろう。「911テロ事件」とも呼ばれるこの残虐非道なテロ事件は、アメリカの自信を打ち砕かんとした、アルカイダによる史上最悪のテロ事件であった。

 アメリカは、以前にも「真珠湾攻撃」というテロ事件を経験しているが、この911テロ事件は、アメリカ人の自尊心を根幹から揺さぶるものであった。アメリカ人たちの怒りは頂点に達し、その後の世界に大きなインパクトを与えることとなったのだ。

 9月11日の朝、ニュージャージー州ニューワーク空港とマサチューセッツ州ボストン空港、バージニア州アーリントン空港を飛び立った4機のジャンボ旅客機が、ハイジャックされた。その内の2機が、多くの乗客を乗せたまま、ニューヨークのマンハッタン島にある、ツインタワーに突入したのだ。

 ジャンボの直撃を受けた、ツインタワーは2つとも崩壊し、ビルで働いていた人の他、多数の消防士たちも含めて2749人が犠牲となった。内、日本人の犠牲者数は24名であった。

 惨事はこれだけではなかった。次の1機は、米国が誇るアメリカ国防総省本庁舎に突入し、もう一機は、テロリストたちと戦った勇敢な乗客たちともども墜落し全員が死亡したのだ。

 911テロの詳細については、当サイトの姉妹サイトである「気になる言葉館」内のページ「911:アメリカ同時多発テロ事件」を参照してください。

二百二十日

 9月11日は、古来より「二百二十日」と呼ばれる特別な日です。二百二十日は立春より数えて220日目という意味ですが、現在の暦では9月11日頃にあたります。

 古来、この日が特別な日として記憶されたのは、稲の開花するこの時期に大きな台風に襲われると、米の収穫量に多大は損害を与えるからでした。

 二百二十日は、旧暦の8月1日の「八朔」や現行暦の9月1日頃の「二百十日」とともに三大厄日として恐れられてきました。

 現在では、稲の開花時期も品質改良によって、これよりずっと早まっているので昔のように恐れることもなくなりましたが、台風などの自然災害の怖さについては忘れてはならないと思います。


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今日の面白雑学(9月12日)

豚が水先案内人

 現代では衛星を使ったナビゲーションシステムや精巧な海図の発達によって、地球上のどこにいても正確に自分の位置を知り、安全な航海ができるようになった。

 しかし、12世紀に羅針盤が発明されるまでは、中世の船乗りたちの航海を助けたのは、なんと豚だった。

 豚には陸地がある方向を本能的に察知する力があると信じられていたからだ。豚を乗せて航海に出た船は、進路に迷うと豚を海に投げ入れて、その泳いだ方向に船を進めていたという。


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今日の面白雑学(9月13日)

黒い喪服は乃木大将の葬儀から

 喪服といえば黒と決まっている。今ではこれが当たり前だが、明治初期までは武家を除き、庶民は白い喪服がほとんどだったという。

 今でも地方によっては白い喪服を着るところもあるが、黒喪服が一般的になったのは、大正元年の9月13日のことである。この日に殉死した乃木希典の葬儀がきっかけだったという説がある。

 葬儀に参列した各国の要人が黒服だったので、日本人も黒を着るようになったというのである。

 また、明治になって五つ紋の黒紋付きが正装と定められたので、喪に服するときも黒紋付きを着る人が多くなったため、黒喪服が定着したともいわれている。


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今日の面白雑学(9月14日)

6歳にして留学した天才少女

 1900年のこの日、9月14日、女子英学塾を開校した津田梅子は、なんと6歳にしてアメリカに留学している。

 梅子が預けられた家では、最初、こんな小さな子供の面倒はとても見られないといったそうだが、その聡明さは周囲の大人を驚かせた。

 結局10年間もの長きに渡って留学することになり、帰国したのは明治15年であった。華族女学校の教授として迎えられたが、日本の教育が肌に合わなかったのか、後に再び渡米する。彼女は、二度目の帰国後に、独力で女子英学塾を開いた。


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今日の面白雑学(9月15日)

秋の長雨は梅雨並み

 秋の長雨の言葉もあるように、この季節はお天気の悪い日が続く。

 9月10日ころから10月10日ころまでの約1カ月は、「秋霖(しゅうりん)」といい、ちょうど梅雨どきのような長雨になる。

 これは夏の間、太平洋高気圧によって北に押し上げられていた梅雨前線が、秋になって高気圧が衰えるとともに再び南下して、秋雨前線となって日本上空にとどまるためだ。

 梅雨の雨量は西日本の方が多いが、秋の長雨は東日本の方が多いのが特徴である。台風が近づくと前線が刺激されて集中豪雨になることもあるので、ご用心。


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今日の面白雑学(9月16日)

マッチの歴史

 1827年、イギリスの薬剤師ジョン・ウォーカーが木のマッチを初めて世に出した。

 黄リンを使った当時のマッチは有毒ガスを発生するうえ、きわめて発火しやすいので火災の危険も高かった。

 その後、1845年に危険が少ない赤リンのマッチが発明され、やがてリンを含まない安全マッチが作られるようになった。

 日本では1875年に東京・三田で製造を始め、翌年には政府の補助を受けて本格的なマッチ工場が誕生している。

 現代では自動点火やライターに押されて需要が減ったマッチも、昭和23年には、不良マッチ追放の主婦大会が開かれるほど、生活に密着したものだった。


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今日の面白雑学(9月17日)

世界の空は一つ

 モノレールができた当時は日本の空の玄関だった羽田空港も、しばらくは主に国内線に使われていたが、最近ではまた盛り返して国内線ばかりか国際線としても大活躍している。

 ところで、国内線の旅客機も、国際線と同じように国際標準時を基準に運行されているのをご存知だろうか。

 これは自衛隊機も同じだ。たとえ日本上空といえども、世界の空は一つ。当然、基準となる時間も一つでなければ混乱してしまうからだ。

 もちろんお客さんに知らせる離発着の時刻は、日本時間である。

 ちなみに飛行機の出発時刻は地上を離れた時刻ではなく、車輪が回り始めた時刻をいうのだそうだ。


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今日の面白雑学(9月18日)

大根役者

 9月18日は〔かいわれ大根の日〕ですが、これとは関係ないんだけど、大根といえば、下手な役者のことを〔大根役者〕と呼びますね。

 実は大根はどうやって食べても絶対に中毒にならない、つまり当たらないということから来ています。大根役者は絶対に当たらないんです。

大根のおいしい食べ方

 かいわれ大根(貝割大根)は成長してくると本物の大根になります。お刺身を食べるときにあったら嬉しい大根おろしの美味しい食べ方ですが、大根おろしに使う大根は尻尾の方より葉に近い首の部分が美味しいです。

 大根の細い部分には、空気に触れると苦味成分となる窒素化合物が多く含まれているからだといいます。

 また、細いものより太い大根の方がいいです。そして、もっとも大事なことは、大根は食べる直前におろすのがいいです。

 大根も無駄にしたくはないですが、尻尾の方とか細い大根は煮物にして食べれば美味しく食べられます。


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今日の面白雑学(9月19日)

こんな苗字ただしく読めるかな

 明治3年の今日から平民も苗字をもつことが許されたが、日本に苗字が登場したのは、平安時代だといわれている。

 日本での苗字の種類は約4万とも12万とも30万種類ともいわれている。多いのは佐藤さん、鈴木さん、高橋さんといったところだが、中には難しい読み方の苗字も存在する。

 月見里(やまなし)は、山がないので月がよく見える里という当て字とか。

 同じように小鳥遊(たかなし)は、鷹がいないと小鳥が遊ぶから。

 四月一日(わたぬき)は、四月一日に綿入れを脱ぐ衣替えの習慣からきた苗字で、一(にのまえ)、九(いちじく)、九十九(つくも)など数字の苗字もある。


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今日の面白雑学(9月20日)

バスの語源

 1660年代の初頭、ルイ14世の布告によってパリの大通りを乗合い馬車が走り、庶民の足として喜ばれた。

 しかし新しもの好きの貴族たちの間で、この馬車に乗るのが流行したために、庶民の利用が減ってすたれてしまい、以後150年間も乗合い馬車は姿を消してしまう。

 やっと復活したときには、お金さえ払えば誰でも乗れることを示すために、馬車には「公共乗合い輸送」と大きく書かれていた。

 この言葉が数年後に乗合い馬車がロンドンに導入された時に、「オムニバス」という言葉になり、そこからバスという言葉が生まれたのである。1904年には、ロンドンで世界で初のガソリンエンジンを搭載したバスが走った。


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今日の面白雑学(9月21日)

相撲の吊り屋根に下がる房

 昭和27年の今日9月21日、国技館の土俵の四本柱が廃止され、吊り屋根になった。

 その理由は、柱があると観戦のじゃまになるからというもの。

 なかなかいきな計らいだが、撤去した四本柱には、それぞれ青、赤、白、黒の布が巻き付けてあった。吊り屋根となった現在でも屋根の四隅から下げられた房となって残っているが、この色はそれぞれ四季とその神様を表している。

 青房は春で青龍神、赤房は夏で朱雀神、白房は秋で白虎神、黒房は冬で玄武神を表し、勝負検査役が座る土俵下のたまりは、この房の色によって、赤房下、青房下と呼ばれている。


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今日の面白雑学(9月22日)

相撲の花道の由来

 力士が土俵に向かう通路を花道というが、この花道という名の起こりは、相撲の歴史と強く関わっている。

 奈良や平安時代には宮中で盛んに「節会」といわれる相撲大会が行われていた。

 節会相撲では力士が東西に分かれて勝敗を競っていたが、東方の力士は葵の花、西方の力士は夕顔の花をつけて登場した。

 花をつけた力士が通ったことから、通路を花道と呼ぶようになったのだといわれている。


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今日の面白雑学(9月23日)

お彼岸の由来

 今日9月23日は、彼岸の中日と呼ばれる。秋の彼岸は秋分の日と前後の3日間ずつを加えた20日~26日までの計7日間である。

 この日には、春の彼岸と並んで法要やお墓参りが行われている。

 太陽が黄経0度を通る春分の日と、黄経180度を通る秋分の日には太陽が真西に沈むので、仏教の西方浄土信仰と結びついて先祖供養の行事が行われるようになったといわれている。

 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉もあるように、季節の変わり目であり、また昼夜の長さが等しくなるこの日を境に、秋はだんだんと昼の長さが短くなってくる。


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今日の面白雑学(9月24日)

西郷さんの銅像は散歩姿?

 明治10年の今日9月24日、西南戦争に敗れた西郷隆盛は、自刃して果てたが、彼の銅像は、東京・上野公園に建てられている。

 待ち合わせの名所としても有名なこの銅像、着流し姿で一見、愛犬の散歩中に見えるが、実はウサギ狩りに出かけるところなのだ。

 銅像の西郷さんの帯には、脇差しと一緒に紐のようなものが挟まれているが、これはウサギをとるためのワナである。猟犬としてお供している犬は名前を「ツン」といって、西郷さんが飼っていた薩摩犬である。


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今日の面白雑学(9月25日)

あなたはジャガイモ派、それとも?

 カレーには絶対ジャガイモを入れる、いやいや本格的なカレーはジャガイモなしだ、と論争になったりもするが、文明開化とともに日本に入ったカレーより、ジャガイモの歴史は古く、初お目見えは天保年間である。

 日本に伝わった当初は鑑賞用だったが、やがて食用となり天保の大飢饉のときには米の代用食として役立ったという。

 誰でもご存知のように、ジャガイモとは、ジャワのバタビア(ジャカトラ)からきた芋という意味である。

 馬鈴薯と書くのは、幕末の学者が中国の書物にあったこの文字をジャガイモのことと早合点したのが、始まりだったという。勘違いとはいえ、それなりに雰囲気に合った言葉ではある


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今日の面白雑学(9月26日)

魔の26日

 今日9月26日は、日本の台風史上特筆すべき「魔の日」である。

 9月17日と並んで、過去もっとも台風の来襲が多い日であり、昭和29年に洞爺丸台風、昭和33年に狩野川台風、翌年には伊勢湾台風が日本を襲い、それぞれ甚大な被害をもたらしている。

 台風の来襲が多いのは、昔からいわれている二百十日、二百二十日より、実際には半月ほど遅く、その原因はよく分かっていない。

 一説では地球の気象変化によって昔より夏が長くなり、秋が半月ほど遅れてくるようになったためではないかと考えられている。


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今日の面白雑学(9月27日)

月見る月はこの月の月

 「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」と歌に詠まれた中秋の名月は旧暦の8月15日の月のことである。

 しかし、お月見の習慣はこの日に限ったことではなく、旧暦8月14日の月は待宵月、16日は十六夜月、17日は立待月、そして20日は寝待月と、それぞれの月に美しい名をつけて、風雅な月見を楽しんでいた。

 涼風が立ち、夜空の美しいこの季節、満月ばかりではなく、うつろう月の姿を楽しむのも、また風流である。

 ちなみに一カ月後の旧暦9月13日の月も十三夜月として、月見をする風習があり、日本人の月に寄せる思いはことのほか強い。


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今日の面白雑学(9月28日)

ハイジャッカーは空のギャング

 航空機乗っ取りをハイジャックというが、ハイジャックは英語では「hijack」と書く。

 「highjack」と書くこともあるため、空の事件だから「高い」という言葉がつくと思われるようだが、この言葉、実はアメリカのギャングが使ったものなのである。

 ハイは、呼びかけの「ヘーイ」と同じ。

 ジャックは男性の名前から転じて、ヤツとか男という意味で、ギャングが、「ハイ、ジャック」と叫んで物を盗ったことから、乗っ取りの意味で使われるようになったのだという。


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今日の面白雑学(9月29日)

クリーニングの歴史

 ドライクリーニング法の発見はふとした偶然により発明されたという。フランスの某家のお手伝いが、テーブルクロスにランプの蒸留油をこぼしてしまったところ、偶然にもクロスの色が落ちて白くなったのだ。

 これを見て、はたと膝を打ったのがこの家の主人の染色屋だった。

 彼が始めた洗濯法はたちまちイギリスにも広まることになる。

 日本に入ったのは明治何年かはっきりしないが、フランス人から技術を学んだ日本人が横浜に初のクリーニング店を開業する。

 その後、明治40年に東京・品川で白洋舎が開業した。一般に広く利用されるようになったのは、昭和20年代といわれ、昭和25年には「クリーニング業法」が制定されている。


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今日の面白雑学(9月30日)

Tシャツはいいけど、Yシャツはだめ

 これは服装ではなく、英語の話である。

 Tシャツは、シャツを広げた格好がアルファベットのTに似ていることからきたもので、れっきとした英語だ。

 YシャツもシャツのエリがYに似てるから、といきたいところだが、これはホワイトシャツが転化した和製の言葉だから、英語ではTシャツは通じても、Yシャツは通じない。

 ちなみにランニングシャツも和製英語である。