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〔今日の雑学:11月〕


 一年中のどんな日にも、長い歴史の中で大事件が起こったり、歴史に名を残す偉大な人物が生まれたり、偉大な発見や発明がなされたりしています。

 あるいは、後世の人たちが永遠に楽しめるような魅惑的な音楽や芸術作品が登場したりするものです。

 歴史に多大な影響を与えるような出来事があれば、それに伴い様々な逸話が誕生したりもします。このコーナーでは、その日に関連するそんな逸話のようなものを掲載しています。それなりに示唆するものがありますから、楽しんで下されば嬉しいです。



 毎月のカレンダーに載っているような大事な記念日などは、だれでも大体の見当がつくものです。

 日本人なら、11月3日が「文化の日」、11月23日が「勤労感謝の日」であることはだれでも知っています。

 しかし、11月1日~11月7日が「教育・文化週間」や「文化財保護強調週間」であることは、あまり知られてはいませんね。更に、11月12日~11月25日が「女性に対する暴力をなくす運動」であることも知っている人は少ないですね。

 このような国民の祝日などに限らず、たとえば、あなたと同じ誕生日にはどんな有名人がいて、どんな逸話を残してくれたかなども興味が湧きますね。そこで、11月の毎日のことに関連する逸話などを調べてみました。


1月2月3月4月5月6月
7月8月9月10月11月12月
 
1日 ・イヌの語源
2日 ・バーレルの語源は
3日 ・成長するゴジラ?
4日 ・くしゃみの語源
5日 ・切手より大きくても小切手とは
6日 ・赤い灯、青い灯のネオンの歴史
7日 ・ふかふか布団で温かく
8日 ・生きた骨を最初に見たレントゲン
9日 ・帝王切開ではなかったシーザー
10日 ・トイレの歴史
 
11日 ・カエルの解剖から生まれた電池
12日 ・日本の洋服の歴史
13日 ・小春日和は今の季節のこと
14日 ・物色とは動物の毛色を見ることだった
15日 ・かまぼこは竹輪だった?
16日 ・最初の園児はお供連れで通園
17日 ・将棋とチェスは兄弟
18日 ・おふくろさんは高貴な呼び名?
19日 ・三三九度の盃の由来
20日 ・ニュースの語源
 
21日 ・ワインをごまかすと、とんでもないことに
22日 ・米大統領の不吉なジンクス
23日 ・手袋の歴史
24日 ・うさぎがおいしい?
25日 ・ブリキバッジの共同募金?
26日 ・保険外交員の失敗から生まれた万年筆
27日 ・ノーベル賞設立のきっかけは
28日 ・西洋化のシンボル・鹿鳴館
29日 ・会議は初回から踊っていた
30日 ・馬の目はパノラマ写真

おもしろ雑学

今月にはこんな面白いお話があるよ!

今日の面白雑学(11月1日)

イヌの語源

 日本でもイヌは昔から飼われており、イヌを型どった埴輪も出土している。また8世紀にはすでに中国や朝鮮から外来種が入っていたようだ。

 「イヌ」の語源については、寝てばかりいる「ねこ(猫)」(寝子)に対して、「寝ない動物」ということから「寝ぬ(いぬ)」と呼ぶようになったとか、イヌは飼い主になついて離れず、そこにずっと居ることから、居るがイヌになったという説もある。

 あるいはイヌは漢字で「狗」とも書き、それに接頭語の「イ」がついてイクとなり、イヌと変化したなどの説もあるが、いずれも決定打とはいえず、判然としないようだ。


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今日の面白雑学(11月2日)

バーレルの語源は

 昭和48年の今日11月2日、スーパーに行列してトイレットペーパーを買った経験をお持ちの方もいることだろう。オイルショックは、世界の石油状況が日本の暮らしに大きな影響を与えることを思い知らされた出来事だった。

 ところで、石油の量を計る単位「バーレル」は、もともと「樽」という意味である。1860年代のアメリカで、酒の空き樽に石油を入れておいたことから使われるようになったのだという。

 ところがややこしいことに、1 バーレルの単位は計るものによってバラバラなのだ。酒の1バーレルは189リットルで、石油は159リットルである。塩の1バーレルは280ポンドで、セメントは376ポンドという具合になっている。なんでこんなにバラバラになってしまったのかは、残念ながら分からない。


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今日の面白雑学(11月3日)

成長するゴジラ?

 昭和29年の今日、11月3日に封切りされた「ゴジラ」は、今や世代を超えた人気者である。

 核実験のために巨大化したという設定のゴジラは、東京に上陸して建物を次々と踏みつぶすのだが、初期の作品では、その身長は50メートルだった。

 それでも迫力充分の大怪獣だったのだが、その後の作品では身長は100メートルくらいに設定されている。

 そう、昔は現在のような高い建物はなかったので、50メートルで充分だったのだが、超高層ビルが立ち並ぶようになって、前と同じ大きさでは全然大きく見えなくなってしまったのだ。

 100メートルになっても新宿の都庁ビルなどはゴジラよりはるかに大きいので、さすがのゴジラも暴れにくくなってしまったかもしれない。


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今日の面白雑学(11月4日)

くしゃみの語源

 季節の変わり目は、風邪をひきやすくなるが、くしゃみをすると誰かに噂されてるという俗信は、江戸時代に生まれたものだという。

 平安時代には、嘘を言うと周りの誰かがくしゃみするともいわれていた。

 こうした俗信が生まれたのは、昔くしゃみをすると魂も一緒に飛び出してしまうと信じられていたためで、くしゃみは不吉なものとされていたのだ。

 そこで、クシャンときたら、すかさず「くさめくさめ」と、厄払いのおまじないを唱えた。「くしゃみ」という言葉は、陰陽道の「休息万命」が「休息命」になり、「くさめ」が、やがて「くしゃみ」となったもの。

 ちなみにくしゃみとは、体に異物が入って来るのを防ぐ反応で、その瞬間風速は何と時速167キロもあるのだという。


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今日の面白雑学(11月5日)

切手より大きくても小切手とは

 庶民にはあまり馴染みがないかも知れないが「小切手」というものがある。小切手は普通の「切手」に比べたら、ずっと大きいのに、何故「小切手」なのだろうか?

 その理由は江戸時代の「米切手」に由来する。江戸時代には、各地の大名たちは幕府からその給与を米で受け取り、それを売って現金収入を得ていた。米取引に際して仲買人に渡されたのがこの米切手なのだ。

 幕府の米取引は入札制となっていて、米を落札した仲買人は、産地から米が入荷すると、渡された米切手と引き換えに大名に現金を支払い、米を受け取る仕組みである。

 時代が明治になると、外国の制度である「チェック(check)」が入ってきたが、これが「米切手」に比べて小さいサイズだったことから、「小切手」と翻訳されたのである。小切手は郵便切手との比較でそうなったのではないのだ。

 余談だが、米国などでは、普通のサラリーマンは給料を週給として受け取るが、現金ではなく、小切手(check)で受け取り、それを銀行に持っていって現金に換えるのである。筆者も海外で6年ほど働いていた経験があるが、この制度、なかなか便利でいい感じのものであった。


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今日の面白雑学(11月6日)

赤い灯、青い灯のネオンの歴史

 1973年の今日、11月6日からしばらくの間、オイルショックによる節電で夜の街からネオンサインが消えた。

 ネオンはギリシャ語で、新しいという意味の「ネオス」からつけられた名で、1898年にイギリスの化学者が、液体空気の実験を行っているときに偶然、発見された。

 数年後、パリの医者クロードは、ガラス管の空気を抜いてネオンを詰め、そこに電気を通して発色させる方法を考案し、特許をとった。

 世界で初めてネオンを看板にしたのは、1922年のアメリカでの出来事だった。美しく光る自動車販売店の看板は大変な評判を呼んだという。日本でもその翌年にはネオンの研究が始まっていて、昭和4~5年には銀座などの広告看板に用いられるようになり、夜の「銀ブラ」族の目を楽しませた。


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今日の面白雑学(11月7日)

ふかふか布団で温かく

 年により日にちがづれるが、大体11月7日頃が「立冬」である。立冬は二十四節気の一つで、暦のうえでは今日から冬に入る。

 とはいえ11月上旬はまだ秋の晴天が続き、さわやかな日も多ので、お天気の日にはぜひ布団を干しましょう。

 布団は就寝中に体や室内から水分を吸って、なんと敷き布団は一晩に120グラム、掛け布団でも60グラムも重くなるといわれている。

 布団を日光に干すと、綿の間の水分が抜けて繊維が伸び、繊維と繊維の間に空気を含むので、ふかふかと温かい布団になる。

 また、直射日光にさらすと風邪などのウイルスも20分くらいで死んでしまうという。ただし午後3時を過ぎると空気が急速に湿ってくるので、夕方まで干しっぱなしは厳禁です。


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今日の面白雑学(11月8日)

生きた骨を最初に見たレントゲン

 1895年の今日、11月8日のこと、陰極線を調べていたレントゲンは、金属でもゴムでも木でも透過してしまう光線を発見し、その光線は科学や数学の世界で、未知の量に対して用いられるXの文字を使ってを使って「X線」と名付けた。

 彼は実験中に偶然スクリーンに写った手の骨を見て驚いたそうだ。骨は筋肉などよりも透過しにくいので、その影が写し出されるのだが、彼は生きた状態の骨を見た世界で最初の人間となったわけだ。

 発見の数週間後、彼は子ども達を集めて、X線で箱の中の物を透視してみせ、喜ばせたという。

 その後、X線は医学に多大な貢献をすることになったのはいうまでもないが、発掘品、美術品などの鑑定によって歴史が書き変わるような大発見にも寄与した。


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今日の面白雑学(11月9日)

帝王切開ではなかったシーザー

 1872年の今日、11月9日、日本でも太陽暦が採用されることになったが、その元になる暦をつくったのがローマ皇帝ユリウス・カエサル(シーザー)である。

 彼が帝王切開で生まれたので、腹部切開出産を帝王切開というようになったという説と、その逆で「カエサル」は切開するという意味のラテン語で、それでカエサルという名がついたという説とがある。

 いずれにしても帝王切開で生まれたことになるのだが、現在では両方の説とも疑わしいとされている。

 ラテン語からドイツ語に翻訳されるときに、切開するという意味のcaesareaを、帝王caesarと取り違えてしまったのだろうというのが、現在では定説となっている。


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今日の面白雑学(11月10日)

トイレの歴史

 今日、11月10日は「トイレの日」となっています。トイレは、乾燥地方では穴を掘り、湿潤地方では川の上に作られたのが始まりとされます。

 日本で初めて建物としてトイレができたのは鎌倉時代に日本に伝わった禅宗建築からとのこと。

 公衆トイレが初めて設置されたのは、そのずーっと後の明治4年の11月のことだったとか。外国人の来日が多くなり、路上での立ち小便はみっともないと、まずは外国人居留地での立ち小便が禁止された。

 そこで公衆トイレが必要になり、横浜の町会所がお金を出しあって、市内83カ所に設置したのがはじまりだった。公衆トイレは「辻便所」と呼ばれ、土に埋めた樽を板塀で囲んだだけのものだった。この時同時に、路上での立ち小便に、罰金百文という罰則も設けられている。


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今日の面白雑学(11月11日)

カエルの解剖から生まれた電池

 随分昔のことだが、電池はイタリアで発明された。1786年にイタリアの解剖学者L・ガルバーニが、2種類の金属を解剖したカエルの脚につけると、脚がピクリと動くことを発見したのが始まりだ。

 彼はカエルが電気を起こすのだと考えたのだが、同じイタリア人のA・ボルタは金属の方が電気を起こすのだろうと考え、電池の原理を発明したのである。

 ボルタは、1800年に薄い塩酸の中に銅板と亜鉛板を入れて電気を起こす「ボルタの電堆(つい)」を考案した。電圧の単位を示す「V(ボルト)」は、ボルタの名前にちなんだものである。


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今日の面白雑学(11月12日)

日本の洋服の歴史

 明治5年の今日、11月12日、礼服に洋服着用を義務づけた太政官布告が発布された。日本で洋服製造が始まったのは、その3年前のことであった。

 土木業者の西村勝三がドイツから裁縫師を呼び、東京・京橋で洋服仕立業を始めている。

 明治10年におこった西南戦争で軍服の需要が高まり、さらに兵役から帰ってきた軍人が古着屋に洋服を売り払ったために、一般にも洋服が広まっていった。明治15年には官立学校の制服が洋服になり、大正時代になるとサラリーマンも洋服を着始めるようになる。

 背広という言葉は、ロンドンの一流裁縫店の立ち並ぶ街セビル・ロウからきたものとか、ゆったりとして背中が広く感じられるから、という説がある。


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今日の面白雑学(11月13日)

小春日和は今の季節のこと

 春のように、ぽかぽかと暖かい日のことを「小春日和(こはるびより)」という。この言葉、2月や3月に使われることもしばしばあるが、それは間違いだ。

 小春とは陰暦10月、現在の暦では11月のことで、小春日和とは立冬を過ぎた今ころの、春のように暖かい日のことをさす言葉である。

 それと似た間違い方をされるのが「麦秋」という言葉、これは秋をさす言葉ではなく、麦が刈り入れ時をむかえる初夏のことである。

 もう一つ「竹の秋」という言葉もあって、これは竹の葉が黄ばむ晩春のことをいい、秋には逆に若竹が緑に茂るので「竹の春」というのである。


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今日の面白雑学(11月14日)

物色とは動物の毛色を見ることだった

 今日、11月14日は「パチンコの日」である。パチンコの名人ともなると、フィーバーを出すためには、パチンコ台の釘を見たりして、出そうな台を物色するそうだ。

 この「物色」という言葉の語源をご存じだろうか。物色という言葉は、古代中国の儒教の教典「礼記」に初めて出てきたもので、「神に捧げるいけにえの動物の毛色」のことだった。

 その後、中国では「姿かたち」という意味合いに使われ、さらに、たくさんのものの中から目的にあうものを探す、みはからうという意味に転じた言葉が、日本に伝わったものだという。

 日本では、さらに転じて、かつて夏目漱石は「三四郎」の中で「たしかに水蜜桃だと物色した」と、それと断定するという意味で用いているが、一般的には使われなかったようだ。


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今日の面白雑学(11月15日)

かまぼこは竹輪だった?

 今日、11月15日は「かまぼこの日」だが、かまぼこは、漢字で「蒲鉾」と書く。

 その製造は室町時代に始まったらしく、魚のすり身を棒に塗り付けて焼いたもので、形が蒲の穂に似ていることから来た名前だそうだ。

 ちょうど今の竹輪と同じ作り方だった。安土・桃山時代になって、すり身を板につける板かまぼこが作られるようになって、棒につけたものと区別するために、棒につけたものの方を竹輪と呼ぶようになったのだという。

 現代のように蒸して作るかまぼこの製造が始まったのは、江戸時代からだという。関西には、蒸した後で焼く、焼き板というかまぼこもある。


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今日の面白雑学(11月16日)

最初の園児はお供連れで通園

 明治9年11月16日、日本初の幼稚園である東京女子師範付属幼稚園(現・お茶の水大学付属)が東京・神田に開園した。園児は3歳から7歳までの約150人だった。

 公立幼稚園とはいえ、授業料は月に15銭で、かなりの高額だったために、園児は華族や高級官僚などの良家の子女ばかりであった。

 ほとんどが馬車に乗ってお供連れで通園した。最初はあまり注目されなかったが、開園から2年後に明治天皇、皇后が見学され、それがきっかけで幼稚園ブームが起こったという。

 明治政府は、明治25年に一般庶民のために簡易幼稚園を設立、幼稚園唱歌も制定した。「桃太郎」や「ちょうちょ」は、この時に唱歌になった歌である。後の明治30年ころには、半数以上の都道府県に幼稚園ができたという。


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今日の面白雑学(11月17日)

将棋とチェスは兄弟

 将棋とチェスは、二人で対局することや王を取りあって勝敗を決めることなど、ルールがよく似ている。

 それもそのはず、両方のゲームとも、元をたどれば5世紀末の古代インドで始まった「チャツランガ」というゲームが原型になったものだからだ。

 シルクロードを通ってヨーロッパに伝わったものがチェスとなり、中国に伝わったものが将棋となった。

 日本には遣唐使が持ち帰り、平安時代には36枚の駒を使う現代の将棋の原型のほか、駒が68枚の将棋もあったという。中世には96枚とか130枚の将棋も登場したが、ルールが複雑ですたれていった。

 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康なども将棋好きで、奨励したという。


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今日の面白雑学(11月18日)

おふくろさんは高貴な呼び名?

 「おふくろさんよ~」といえば、森進一のヒット曲だが、この「おふくろ」という呼び名、もとは高貴な人の母親のことをさす言葉だった。

 鎌倉時代の古文書に書かれた「将軍家御台様、同御袋様」の御袋様は、尼将軍政子のことで、元は剃髪して隠居した母親という意味で使われていた。

 室町期には単に母親をさす言葉となったが、いずれにしても大臣以上でなければ使えない言葉だったようだ。

 「おっかさん」という言葉も、元は上流社会の「北の方」が語源だ。「方」をとって「お方さま」と呼ばれたのが「おかかさま」から「おっかさん」と変化したもので、明治になって「おかあさん」になった。


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今日の面白雑学(11月19日)

三三九度の盃の由来

 引退後数十年も経った今も、芸能ニュースの話題になるほどの人気者・百恵ちゃんが挙式したのが、1980年の今日、11月19日だ。

 百恵ちゃんは教会での式だったが、神前の結婚式につきものなのが三三九度の盃という儀式である。

 大小三つ重ねの盃に三献の酒を注ぎ、新郎・新婦が一杯を三度に分けて飲み、それを三回取り交わすので、三三九度といわれるのだが、なぜこの数になったのだろうか。

 この由来は陰陽にもとづくもので、三は「天・地・人」を意味するめでたい陽の数、九は一、三、五、七、九の陽の数のうちの至数の数、つまり最もめでたい数とされていることからきたものである。

 三三九度の習慣は江戸時代から一般的になり、今日まで伝わっている。


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今日の面白雑学(11月20日)

ニュースの語源

 ニュースという言葉は新しいという意味の形容詞「news」が、名詞的に使われるようになったもので、ラテン語でも同じように新しい事という意味の言葉が使われている。

 ところでニュースという言葉には、もう一つの語源説がある。これは、north(北)、east(東)、 west(西)、south(北)というそれぞれの英語の頭文字をとって、newsという言葉ができたという説だ。

 言語学的には前説の方が説得力があるが、後説の方は東西南北で起こったさまざまな出来事を伝えるという、いかにもニュースらしい感じだ。さて、あなたはどちらの説をとりたいですか?


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今日の面白雑学(11月21日)

ワインをごまかすと、とんでもないことに

 日本でもかつて大ブームを巻き起こした赤のボジョレ・ヌーボーは、ガメイ種というブドウから特殊なつくりかたで造られ、ジュースに近いフレッシュな風味を楽しむワインだ。

 ボルドーのブドウ園では、1~2世紀頃、すでにワインが生産されていたが、有史以前の洞窟からブドウの種や茎が発見されていることから見ても、ワインの歴史は相当に古い。

 宗教的な役割をはじめ、西洋の生活には欠かすことのできないワインだから、これをごまかすと大変なことになる。

 世界最古の法典といわれるハムラビ法典には「量をごまかしてワインを売る商人は、水に投げ込むべし」と定められ、中世の英国では酸敗したワインを売った業者が、罰としてワインを死ぬほど飲まされたとか。


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今日の面白雑学(11月22日)

米大統領の不吉なジンクス

 1840年に選出された第9代米大統領ウィリアム・ハリソンから、その不幸の歴史が始まった。彼は在任中に死亡している。その後、20年おきに選出された大統領は、なぜか皆、在任中に死亡しているのだ。

 1860年選出のリンカーン、1880年選出のガーフィールド、1900年のマッキンレー、1920年のハーディング、1940年のルーズベルトたちが皆、在任中に死亡している。

 そして、運命の1960年に大統領に選出された、ケネディ大統領は、1963年の今日、11月22日にダラスで暗殺されたことは記憶に新しい。

 百数十年もこのような不幸が続いたが、これを破ったのが1980年に選出されたレーガン大統領である。

 彼も在任中に暗殺されかかったが、その後無事任期を全うし、不吉な歴史にピリオドが打たれた。


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今日の面白雑学(11月23日)

手袋の歴史

 手袋の歴史は古く、エジプトの壁画に描かれ、ピラミッドの中からも手袋が見つかっている。

 日本の手袋は、鎌倉時代に武士が着用した篭手(こて)が始まりといわれ、西洋式の手袋は、16世紀中頃「手覆(ておおい)」といわれて、ポルトガルから伝わっている。

 江戸時代にはオランダから輸入されたメリヤスの手袋が武士にもてはやされ、幕末には手袋つくりが下級武士の内職となったという。

 明治4年に、靴や洋服の工場を日本で初めて設立した西村勝三が、靴工場の一角で軍靴とともに納める手袋の製造を始めたのが工場生産の最初となった。

 その後、大阪でメリヤス手袋の製造を習った棚次辰吉が白鳥町で手袋の製造を始め、現在ではその周辺で日本の手袋の約90%が製造されている。


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今日の面白雑学(11月24日)

うさぎがおいしい?

 明治14年の今日、11月24日、小学唱歌が出版されたが、最近は小学校の音楽の教科書にも唱歌がめっきり減って、ポップスなどが載るようになった。

 唱歌『ふるさと』の「兎追いし」を「兎が美味しい」と思いこんでいたという笑い話もあるように、文語調の唱歌の歌詞は小学生にはなかなか難しい。

 初めて出版された小学唱歌には、『庭の千草』『蛍の光』『仰げば尊し』などが収められていたが、『仰げば尊し』の「思えばいととし」は、愛(いと)しいという意味ではなく「いと疾(と)し」で、歳月の過ぎるのがひじょうに速いということを意味している。

 ちなみに「雪やコンコン~」のコンコンも、雪が降る様子を表す擬態語ではなく、「来む」の音便で、漢字で書けば「来ん来ん」。うーん、これでは今の大人にもちょっと難しそうだ。


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今日の面白雑学(11月25日)

ブリキバッジの共同募金?

 国民の助け合い運動である共同募金が始まったのが、昭和22年の今日、11月25日からだ。

 日本の共同募金運動は、大正10年に、長崎市の福祉団体が街頭で造花を売ったのが始まりとされている。

 さて、募金といえば「赤い羽根」を連想するが、募金をしてくれた人に赤い羽根をつけるようになったのは、第2回目の昭和23年からで、最初の年はブリキのバッジをつけていた。

 この赤い羽根、原価が当時のお金で1本55銭、羽根だけで550万円もかかったが、赤い羽根にかえたことで喜んで募金をする人が増えて大成功したという。昭和26年には約10億円が集まった。


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今日の面白雑学(11月26日)

保険外交員の失敗から生まれた万年筆

 ひと昔前はペンといえば万年筆のことだった。子ども達は進学祝いに万年筆をもらって大人の仲間入りをした気分になったものだが、最近はボールペンなどの筆記具にいささか押され気味のようだ。というより、万年筆を使う人をほとんど見かけなくなった。

 この万年筆、初期のものは不良品で、1883年にウォーターマンによって現在のように改良された。

 保険の外交員だった彼は、ある日、大口の契約にこぎつけ、いざ書類を書こうとしたときにペンからインクが漏れて書類を汚してしまった。

 書き直そうとしても新しい書類の持ち合わせがない。仕方なく書類を取りに行って戻ったら、なんとその間にライバルの保険会社が契約をしてしまったのだ。

 不良品のペンに怒った彼は、自分で改良しようと一念発起する。そして、数年後に現在のような万年筆をつくることに成功したのだという。


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今日の面白雑学(11月27日)

ノーベル賞設立のきっかけは

 ダイナマイトの発明などで巨額の富を築いたノーベルが、そのお金を「人類の福祉に最も具体的に貢献した人々」に与えたいと考え、その遺言状どおり、子どものなかった彼の遺産はスウェーデン王立科学アカデミーに寄付された。

 その基金の利息を各年ごとの賞金にあてるというノーベル賞が設立されたのが1901年のことである。

 ちなみにこの遺言状のきっかけは、その数年前にノーベルの兄が死んだことを、フランスの新聞が本人が死んだと誤報したことだという。

 この新聞はノーベルのことをダイナマイトで儲けた「死の商人」と書いたために、これにショックを受けたノーベルは、その遺産を人類のために使うことを決心したのだった。

 各賞や年によっても賞金額は違うが、文学賞の賞金は9千万円あまりだといわれている。


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今日の面白雑学(11月28日)

西洋化のシンボル・鹿鳴館

 明治18年の今日、11月28日、鹿鳴館が落成した。その夜は皇族や大臣をはじめ、各国の公使が夫人とともに招かれ、千人あまりの盛大な開館式が行われたという。

 明治11年に外務卿となった井上馨が、日本と外国の不平等な関係を改善するために、日本の西洋化、近代化を認めさせるために洋式社交場・鹿鳴館を建築したのだった。

 英国建築家コンドルによって設計されたレンガ造り2階建ての建物は、1年半の歳月と総工費18万円を要して完成した。ハガキ1枚1銭の時代である。この日から連夜ダンスパーティーが開かれ、欧化にいっそうの拍車をかけた鹿鳴館文化が花開いたのである。


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今日の面白雑学(11月29日)

会議は初回から踊っていた

 「会議は踊る」とは、ナポレオン没後の領土問題などの後始末を協議したウィーン会議に対して、フランス代表タレーランの「会議は進まない。しかし踊っている」という言葉からきたものだ。

 のちに映画のタイトルともなったが、会議が紛糾してなかなかまとまらないさまを皮肉って表現した言葉である。

 ちなみに明治23年の今日、11月29日に召集された第一回帝国議会も、まさに「踊る」会議であった。議長・副議長の選出でもめ、収拾がつかなくなったという。

 そこで、仮議長が休憩を提案し、議員たちに、「諸君は頭を冷やしたらいかがか」というような発言をしたために、ますますもめてしまったという。結局、仮議長が失言を詫びてなんとか収まったそうだ。


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今日の面白雑学(11月30日)

馬の目はパノラマ写真

 自動焦点カメラが発売されて、すでに数十年になるが、カメラの進歩はめざましく、最近はパノラマ写真が人気を集めている。

 人間の視野はおおよそ140度、それと同じくらいか、もう少し広くしたのがパノラマ写真で、中には360度撮れるカメラもある。

 カメラの力を借りないと見られない人間に比べて、馬の大きく愛くるしい目は、なんと350度近く、つまり頭の真後ろ以外はつねに見えているのだという。

 馬は気が小さい動物で、敵をすぐ察知できるように目が発達したもので、この目、地上のほ乳類の中ではもっとも大きくタテ、ヨコとも平均で47ミリもあるという。



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