日にち固定の記念日・年中行事(1月25日)
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主婦休みの日
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女性のための生活情報紙を発行するサンケイリビング新聞社は、2009年4月に、「主婦の元気が日本の元気になれば」を標榜して、2009年4月に「主婦休みの日」を提唱した。
この記念日は、日本記念日協会に申請し、認定された。
日本初となる主婦が主役の記念日に、多くの企業からも注目が集まり、「主婦休みの日」にまつわるさまざまな商品やイベント、サービスが広く世の中に広がりを見せている。
この記念日は、1月25日だけでなく、5月25日、9月25日と併せて年3回ある。
1.家事や育児に頑張る主婦がリフレッシュできる日。
2.家族が元気になってニッポンも元気になる日。
3.夫や子どもが家事にチャレンジする日&パパと子どもが一緒に行動する日。
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初天神
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初天神とは、新年最初の天神の縁日のことをいう。天神とは菅原道真の神号で毎月25日が縁日である。
『初天神』は、元々は上方落語の演目の一つであるが、古典落語の演目のひとつにもある。毎年1月25日に天満宮で開かれる年の初めの祭りに出かけた父親と息子の絆を描いた演目である。
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日本最低気温の日
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1902年1月25日に、北海道旭川市で日本における最低気温の記録となる -41℃ を観測した。
これを記念して、「日本最低気温の日」とした。
また、面白い話として、これに因んで1月25日は、「中華まんの日」や「ホットケーキの日」にもなっている。
中華まんやホットケーキを食べて、温まろうという考えである。
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お詫びの日
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遥か昔のこと、ハインリッヒ4世は、北イタリアの支配を目指し、ミラノ大司教などを次々と任命した。
これに対し、教皇グレゴリウス7世は司教の任命権が皇帝にはなく、協会にあることを通達するが、ハインリヒは聞き入れなかった。
やがて、教皇グレゴリウスが皇帝の破門を示唆すると、ハインリヒは、皇帝は教皇の廃位を宣言する。対して、教皇も1076年2月に皇帝を破門し王位剥奪を宣言する。
皇帝の破門を知ったドイツ諸侯は、次々とハインリヒに反旗を翻すようになる。
1077年1月25日、破門されたハインリッヒは、教皇グレゴリウス7世に許しを請うために、冬のアルプスを越えてカノッサ城の前に立ったが、教皇は会ってもくれず、皇帝は雪の中、裸足に粗末な修道衣で3日3晩断食と祈りを続け、ようやく許しをもらったという。
ハインリッヒ4世は、後に神聖ローマ皇帝となる偉大なる人物だったが、教皇の前ではこのような屈辱を受けたのだった。このお詫びを「カノッサの屈辱」というのである。
こうして、「お詫びの日」は、1077年のカノッサの屈辱にちなんで制定されたのである。
この屈辱の後、ハインリヒはドイツに戻り直ちに反対派諸侯を制圧し王権を確立する。その後も再び教皇との対立は激化し、この争いは半世紀も続いたという。
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左遷の日
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右大臣・菅原道真の才能を妬んだ、左大臣・藤原時平は、道真を貶めようと策略し、醍醐天皇に「道真は国家の政治を私物化している」と執拗に讒言(ざんげん)した。
こうして、延喜元年旧暦1月25日(新暦では901年2月16日)、菅原道真は醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されてしまう。
この「左遷の日」は、大宰府に左遷されることになった菅原道真が京を出発したことにちなむ日である。
道真は、長年住み慣れた庭の梅が咲くのを見て、拾遺和歌集に次のような名歌を読み、今に知られる。そして、この日、京の都を旅立ったのである。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れな」
(こちふかば にほいおこせよ うめのはな あるじなしとて はるをわするな)
その梅は都の菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行って、そこに根づいたという「太宰府の飛梅(とびうめ)」の伝説がある。
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美容記念日
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美容家メイ牛山は、明治~平成の時代を通して、心身も美しくなることが美容の本来の意味であると提唱した日本で最初の人であった。
彼女は、健康食という概念をつくり、健康と美容の両立の概念を広めた。女性が楽しく美しくいられる社会こそ平和な社会だとの美容哲学と平和理論とを結び付けた人である。
「美容記念日」は、このような概念を提唱し広めた美容家、メイ牛山の誕生日にちなんで制定された。
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